
人生は挑戦なりとは、私たちは幾つになっても挑戦し続け、挑戦を通して可能性を追求する人生でありたいという意味である。間もなく105歳を迎える私が、人生にどう挑戦してきたかを振り返ってみたい。
私の人生を決定的にしたのは、海軍での1年間の基礎訓練と、3年余の戦場の体験である。
私が職工学校卒業を控えた頃、工業学校の機械・電機科を終了し、海軍の航空機整備を志願するなら、徴兵義務を1年にするという新制度を知った。
普通3年の義務兵役が1年で済むという好条件に惹かれ、父の内諾を得て志願を決めた。早く社会に出て実力を発揮してみたいと考えていた矢先だった。昭和14年10月、横須賀海軍航空隊練習部に19歳で入隊した。
海軍は殴って教える所だとも聞いていたが、入隊してみると、聞きしに勝る凄さだった。私たち新入隊者の鈍い行動を見ていた教員から大喝一声、「遅い!気合が入っていない」と叱咤され、全員顔形が変わるほどの鉄拳制裁を頂戴した。
何の訓練をやらされても、常に隊員の先頭集団にいた私だったが、連帯責任だと制裁のお相伴にあずかった。不条理だと思ったが、これで強くなれるのだと思うと、教員の無慈悲な仕打ちを納得できた。
鉄拳に明け暮れた基礎訓練を終えた頃、ふと鏡を見て驚いた。自分と違う顔が映っていたからだ。眼光鋭く、引き締まった顔の逞しくなっている自分を見て、今後如何なる艱難辛苦にも耐えられる自信が沸いてきた。その自信は戦後80年の生涯に如実に表れた。
その後、南方の四島における戦場で3年余戦い、数知れぬほど死ぬ目に遭った。奇跡的にも生き抜くことができたが、その中で忘れられない出来事がある。
ラバウル基地での深夜、ふと目が覚めた。耳を澄ますと、心の奥から「びくびくせずに潔く死ね」という声がした。「そうだ、自分の死は、家族の安泰・国の平和のために捧げる崇高な行為だ」喜んで一命を棄てようと心に決めた。「自分が魂の存在」なのを知った瞬間だった。
それまでは、激しい弾雨に躊躇していたが、以後は不思議にも、平気で潜り抜けられるようになったのである。この大きな変化は、私に命を捨てる決心をさせた魂の働きであるのは間違いない。その偉大な力は、宇宙の生成発展の意志によって、この世に生を受けている魂であることを直観した。
海軍にいた4年余の体験から得た「自信」と「魂の存在」は、戦後80年を挑戦の日々へと向かわせた。戦後始めた仕事を軌道に乗せる幾多の挑戦と相まって、自らに最初に課したのは禁煙と早朝のジョギングだった。日を経るに従い、ハードルを高くしていき、遂には元日の海での寒中水泳に挑戦するまでになった。
それは62歳から始め、31年間一度も欠くことなく、93歳まで続けた。
挑戦して継続できた多くの記録は、自力で達成したとは考えていない。宇宙の意志によって与えられた、魂の働きだと確信している。挑戦してきたことによって、類稀なる素晴らしい105歳の人生をつくりあげてきた。その力を与えてくれた宇宙に対し、満腔の感謝を捧げたい。まさしく人生は挑戦である。
『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2025年9月)より』