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Vol.116 生き残っていくこと

2008/05/07

「生・老・病・死」と謂われますが、最高顧問がおっしゃる様に我々は「生まれて死に向かって生き続けていく」のですね。それでも厳然な事実として、個人であれ、会社であれ、生き残っていくものと、そうでないものと分かれ(分けられ)ます。
 この違いは一体何でしょうか? 人智で計ること出来ない大きな力でしょうか?
質問者:航海日誌 愛読者

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人と企業が生き残っていくことについて、その違いは何か、それは人の力でなし得ないのかを問うている。企業が生き残ることはあるが、人は「生、病、老、死」とあるように、生き残ることはない。速い遅いの違いだけの、必ず死がある。この速い遅いは、人智で計ることのできない大きな力によるのは言うまでもない。もし、あなたの言う生き残ることが、長く生きることを意味するなら、生き残ることは素晴らしいことではない。無意味に生きた長寿よりも、有意義に生きた短命の方が、どれほどよいか計り知れないからだ。人生の長短よりも、いかに悔いないものにしていくかに注力すべきではないだろうか。

あなたの問いが人間の生死を問うているのではなくて、この競争社会での所謂生き残りを問題にしているのであれば、答えは違ってくる。人間は誰でも違った資質天分を持って生まれているのだが、その天分を活かしたかどうかによって生き残るかどうかが決まる。ここでいう活かすとは、いかに優れた天分も、他に役立つことによってしか活かされないことである。したがって、役立つ度合いにより、適材適所としてその人に相応しい場が与えられるのである。

人間は命令され指示されるのを嫌い、教育されるよりも主体的に学ぶことの方を好む。規制されればされるほど逃れようとし、表面は服従しているように見えても、内心は反目している場合が少なくない。その反対に、信頼し、自由を与えれば、自分の行動に責任を感じるようになる。強制は人間を卑屈にし、自由は主体性を育む。このような人間観を載して子や部下に接するならば、巧まずして動機付けが可能となる。

そうはいっても、人生は運命に左右される場合が多くある。運命というものをどう考えるかが、人生を創造する上に大きく関わっている。運命には私たちの才知の及ばない、宇宙の大きな力の働きはあるが、それに私たちがどう関わっていくかによって変えることができるのである。普通、運命は"決まりきった人生の予定コース"つまり宿命と同様に解釈しているが、運命は宿命のように固定的ではなく、不可避ではあるが流動的なのである。運命は天の配剤であると共に、自ら作るものであって、私たちの力で変化させ創造し得るものである。

運命には幸運不運があり、時には災難に遭い、病気を得たり、失敗するなどがある。これらの避けたい運命ほど、貴重な教訓を秘めているのだが、好ましい運命には、むしろ得るものよりも失うものの多いことに気づく人は稀である。自分に降りかかった不運を呪う気持ちを捨て、身に起こる凡ての出来事は必要だから与えられたのだと受け取るならば、人間として大きく成長するだろう。運命には無意味な無価値なものは何一つない。挫折も、失敗も、病気も失恋もプラスにしようと思えばできる。

企業が生き残れる条件はただ一つ、世の中がどのように変化しようとも適者生存である。その社会に存在するに相応しいものだけが生き残ることができる。つまり、その社会に有用であるか、どれだけ役立っているかの存在価値によって適者が決まる。いかに優秀な企業であろうと、社会に役立たない存在ならば、いずれ社会から見放され、消滅の運命を辿ることは明らかである。適者とは、その企業がなくては困るという、社会から必要不可欠な存在として認められることである。故に、生き残るに相応しい企業の資格条件は、社会的存在価値を備えることである。

そのためには、具体的にどうすればいいのだろうか。世界は常に進歩発展し変化しているが、その変化に伴う対応ではなく、変化を察知して変化する前に対応することである。それが時代に先駆けた希少価値を生み、社会的存在価値を高めることとなる。何れの時代であっても、単に強者が生き残り弱者が滅びるという、競争原理で動いているわけではない。強大であるがため滅びることだってある。原始時代の恐竜は強大であるがため、環境の変化に適応できず滅亡している。

ここでいう強さとは、企業の持つ社会的存在価値の大きさをいう。社会に有用であるほど、社会がそれを利用、または活用せずにはいないという強さだ。その意味で、強者が生き残るのであって、人智の及ばぬ偉大な力によるのではない。社会的価値を創り出したか、創り得なかったの違いによる。我が社の社是に、価値の創造を謳ってあるのはそのためである。

即ち、人も企業も社会的貢献度の多少によって、生き残れるかどうかの処遇が決まる。

航海日誌