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今月の航海日誌

航海日誌Vol.199 (2018.10.01)

「変革する」

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

変革するとは、変え改めることをいい、主に社会的・政治的に用いられる場合が多い。今回は、自分自身の変革について述べたい。人は誰でも自分を成長発展させたいと願っているが、それを「自分を変革する」と言い換えてもよいだろう。

私たちは、年を経て自らを振り返ってみると、自分が身体的・精神的に成長し、変化していることに気付く。しかし、それは理性や本能の働きと、環境が変わることによって、意識せずに変化したのであって、自分を変革したとはいえない。変革するには、何としても強い意志によるしかないと考える。問題は、強い意志はどうすればつくれるかである。

誰でも心で決心すれば強い意志がつくれると思うだろう。しかし心は、論理的・合理的にしか考えられないという大きな欠点があり、そのような強い力を持っていない。したがって、人生を左右する問題を心で決めても、絵に描いた餅に過ぎないものとなる。心に力が無いならば、どうしたら得られるのだろうか。私の体験を通して述べるなら、その強大な力は、魂にしかないと断言できる。なぜ魂だけにその力が備わっていて、心には無いのだろうか。心がどのようにしてつくられたかを知れば、その訳が分かる。

私たちが生まれた時には、心は無かった。二歳から三歳にかけて、だんだん言葉を憶え、言葉と言葉を結びつけて、考えることができるようになっていく。それが理性の発生であり、この理性の発生が、心の誕生である。理性というのは、言葉を素にして発達し、心の主要部分を占めている。ところが、理性の素になっている言葉は、合理的にしか通用しない欠点を持つ故に、理性は、言葉の持つ不完全性を免れない。したがって、心には自分自身を変革する大きな力はない。

魂こそがそれを可能にするといえる。多くの人は、魂は幽霊の親戚ぐらいにしか思っていないが、心と同様に魂の存在を否定する人はいない。先哲の言葉にも「」とあるように、魂の存在を説いている。幸いに私は、戦場において死に立ち向かった体験から、魂の存在を掴むことができたのである。

それは、昭和18年7月、敗色が濃くなりつつあったラバウルだった。この戦況が続くなら、そう遠くない日に俺の死は間違いないと、ひそかに心に決めていたが死は怖かった。そのとき、心の奥から、「国の安寧と家族の平安のために一命を捧げることは、男子一生の誉れだ。死を待つのでなく、潔く死ね」という声が、聞こえてきた。もやもやした気持ちが吹っ切れ、進んで死に向かっていける自信が沸いてきて、心は天空のように澄み渡った。我に返ったとき、あれは魂からの声だと気付くとともに、死は恐怖から一転して喜びに変わった。

昭和19年1月、戦況の悪化により、ゼロ戦数十機を持つ我が部隊は、サイパンへ転進(実は戦線縮小)することになり、私たちは、二隻の貨物船で行くことになった。その出航の前夜である。既に、空も海も米軍の支配下にあり、出て行った船はほとんど沈められていた。船が沈んだとき、海水を飲み、もがきながら窒息死するしかないのか、ラバウルで弾に当たってひと思いに死ねばよかったとさえ思った。

ひと思いに死ねないことが分かり、考えることを放棄したとき、ふと、ある思いが頭に浮かんだ。水中深く潜り続けると失神することである。幸いに潜水が得意なので、たやすく死ねると安心し、ストンと眠ってしまった。案の定、出航後の二日間に、空爆と魚雷で二隻とも沈められた。

私は、太平洋に独り浮かんでいた。海は生温いし、死を急ぐ必要が無い、いよいよそのときがくるまで浮かんでいようと、体力保持に努めた。そのうち、いつの間にか来た、日本の駆逐艦に救助された。しかし、不思議にも、助かった喜びはあまりわかなかった。サイパンへ着いても、ラバウルと同じ死闘が待っていると思ったからだ。

それにしても、沈むのが分かっている船の出航前夜、ひと思いに死ねる術を思い付いたあの閃きは、天啓の類であって、自分が考えた挙句に搾り出したものではない。絶望した後、考えを放棄したから閃いたのである。放心しているのに、どうして閃きが起こるのだろうか、それは、魂によるとしかいえない。

魂になぜそんなに大きな力があるのか。私たちは、自然の生き物である動物・植物と同じように、大自然の意志によってこの世に人間として生を与えられている。故に、私たちの生命に含まれている魂には、大自然の生成発展の意志を帯びた、無限の力が備わっている。辞書に「魂」とは、「心を司るもの、常に心の奥にあって、統御・支配している」とある。私が死を受容できたのは、魂の力であるといえる。したがって、私たちに起こるいかなる苦難も、魂の意志を呼び起し、自分自身を改革できるのではないか。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2018年8月)より』

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