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今月の航海日誌

航海日誌Vol.188 (2017.11.01)

維新する

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

今回のテーマである「維新」という言葉から、誰もがまず思い浮かべるのは明治維新ではないだろうか。「維新する」とは辞書によると、「これまでのことをやめて新しくすること」とある。主に政治上の事柄に用いられる言葉であるが、自らを「維新する」視点から述べてみたい。

「自分をつくり変える」とは、禅の修験者が唱える台詞であって、普通、禅僧のような考えを持つ人は稀である。自分の行く道は自分で開くしかないと、絶え間なく自分に挑戦し続けるのはたやすいことではない。松下幸之助や本田宗一郎、発明王エジソンなどは、まさに精進の人であった。

自分自身を創造し、新しくつくり変えることは容易でない。私たち人間は、元来保主的な生き物で、安全を第一に考え大きな変化を好まない性質を持っており、自らの歩む道に、問題がない方がいいと思っている。しかし、問題にぶつかることは私達にとって、欠くことのできないものである。問題を乗り越えることによって進歩・成長することができ、自分が変わる絶好の機会になるからだ。

人間が変わるほどの「気づき」は、「目から鱗が落ちる」と表現されている。「気付く」ことによって、ものの見方、考え方が変わり、行動が変化する。「気付く」ことがなければ、自分を変えるのは不可能といってよい。「気付く」とは、禅の修験者が、何年もかかって得る「悟り」のようなもので、パッと真実が分かることである。

「気づき」は生き方が変わる大事なターニングポイントである。他から「本当はこういうことなのだ」と論理を尽くして説かれても、心から納得できないのがほとんどである。自分の物差しで相手の話を聞いているから本当のことが分からない。自分の計らいを捨てて聞くと、スト―ンと腹の中に入ってきて、従来の考え方と置き換わる。これは理屈で分かったのではなく、感性で納得したといえる。理解したことは他の論理で破れやすいが、納得したことは、容易に変わることがない。

どのような時に「気付く」のだろうか。いくら立派な書を読み、指導者の話を聞いても、「気づき」は起こらない。それよりも、「困窮の極みの時」「生命の危機に晒されたとき」「苦悩の果て絶望に陥ったとき」など、どうにもならない行き詰まったときこそがチャンスだといえる。はっと「気付く」ことで積極的に苦難を受け容れる腹が決まり、考えが覆される。「気づき」の積み重ねは人生観や社会観を育み、日常の行動を変え、人格がつくられていく。先日亡くなられた日野原重明先生も、「鳥は飛び方を変えることができないが、人間は生き方を変えることができる」と述べている。

私の人生を維新する原動力になったのは、70数年前、南方の戦場で死を前にして得た多くの「気づき」である。敗色が濃くなっていたラバウルで、「どう考えても長い命ではない。ならばびくびくせずに、潔くこの世とお別れしよう」と、死を受け容れることを腹に決めた。途端に、不思議にも弾降る中を何の恐れもなく戦闘に従事できるようになった。この瞬間こそが生への執着がふっ切れた「気づき」であった。

自らの計らいを捨てたからこそ、死の受容を可能ならしめた死生観は,私の終生の宝になっている。祖国や家族のために命を捨てるのは男子の本懐だと、死に甲斐を求めて戦ってきたことが、後になって生き甲斐になっていたことに気付いた。同時に、それまでは自力で生きてきたと思っていたが、生かされていたのを知った。以来、苦しみや悩みがあるのは、私を生かそうとしている天の配剤だと受け取れるようになり、自分を「維新する」きっかけにもなった。

その始まりは禁煙であった。続いて、アラームなしの5時起床である。それは今日まで習慣となっている。このことで、自己管理に自信がつき、己に克つことが喜びになり、努力なしに楽しみながら続けてこられた。

5時起床の習慣化は、さらに起床後2キロのジョギングにつながり、さらには、ジョギング後の冷水浴への挑みになった。しかし、冷水浴には兜を脱いだ。それまでの自信を覆された情けない自分を省みて、毎日挫折感に苦しめられた。悩んだ揚げ句、一生使える健康投資だと、庭にプールを作り入ることにした。

プールでの冷水浴の効果は予想外だった。真冬の朝、プールの水は肌を刺すようであったが、やり終えた後の喜びは格別だった。この過酷な条件に身を晒しても耐えられる自分が誇らしく、さらに、翌年から元日の朝、庵治の海岸で泳ぐことにした。真冬の海で泳ぐ豪快さは言葉にならないほど喜びは大きく、94歳まで40数年間続いた。

また、早朝のジョギングはマラソン大会参加につながり、ハーフマラソンを74歳まで走り続けた。しかも、60歳から始めた献血は、年齢を偽って74歳まで続き、多くの人の健康に役立ててもらっている。

96歳の今日,老いたりといえどもなお矍鑠(かくしゃく)としていられるのは、「自分を維新する」に努めたからだといえる。その発端は、青年期の「気づき」であった。「気付く」ことが、このような偉大な力を持っているのは、天の啓示・大自然の意志による。計らいを無くして天の声に耳を澄ませ、たえず「維新する」自分であり続けようではないか。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2017年8月)より』

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