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Vol.245 「これでいいのか」

2022/09/05

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

連日、ロシアのウクライナ侵攻のニュースを目にする。人間の尊厳を揺るがす理不尽な事態だが、出口は見えていない。ロシアはあくまで自説を覆さず、ウクライナ侵攻を続けている状況は、今回の表題「これでいいのか」という思いを深めている。この機会に考えを述べたい。

戦争という大問題は、誰もが考えも及ばぬことのように思っているが、争いには、国家間の争いからはじまり、隣近所や夫婦間の争いまで含まれている。ゆえに争いについて私たちも真剣に考える必要がある。なぜ争いは起きるのだろうか。

これら争いの源は、人々が人間の本質は理性であり、理性は完全であると考えるところからきている。その結果、自分が正しいと思うことを主帳し合うので、対立が深まり争いになっている。つまり、理性が争いをつくっているといえる。過去のいずれの戦争の発端も、正義を主張することから起こっており、その両者の正義を力に訴えて解決しようとしたことにある。現に、ロシアが武力でウクライナを侵攻したことが世界中から批難されているのを見ても分かる。

また最近は、自由と平等という理念が浸透しており「権利と義務」という意識が高まっている。これは合理的で当然と思えるが、権利は対立を生み、義務は強制を強いる。大切なのは、いかに正しい理念であろうと、争いをつくったのでは仏つくって魂入れずになることを知らねばならない。

それでは、平和を実現していくためには何が大事なのだろうか。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の憲章前文に「戦争は人間の心の中から始まる。だから人間の心の中に平和の砦を築かねばならない」と宣言されている。

では、自分の心の中にどのように平和の砦を築けばよいのだろうか。まず、人間の理性は、合理的にしか考えられない不完全性を持つことを知るべきである。自分がどんなに正しいと思っても、決して完全ではないのである。次に、自分と異なる考えであってもその中から何かを学べるかもしれないと考えられるなら、一回り大きい人間に成長していけるし、対立も起こらない。さらに、争いに勝つより大事なものがある。それは力を合わせるという、人間としての価値観を持つことである。打ち負かせて勝つことに喜びを見出すのでは、平和はあり得ない。

最後に、人は、考えが対立すると相手を説得して自分と同じ考え方に導こうとする。すると、説得されればされるほど相手は対立の気持ちを湧き立たせ、遂に争いになってしまう。価値観が多様になる今日、競争に勝つためではなく、互いの価値観を認め支え合うことが重要になっている。

即ち、現代社会の進歩発展には、弱肉強食でなく適者生存の原理が求められている。状況の変化に自分をどう適応させていくか、自己創造を成し遂げた者のみが生存し得るのである。勝っているように見える会社があるが、それは競争で勝っているのではなく、状況に応じた自己創造、自己変革を徹底的に進めた結果である。

もし競争に勝つことを目的にするならば、その手段に気を奪われ、かえって実力を発揮できなくしてしまう。競争は、自分の潜在能力を引き出し、自分を高めるために必要なのである。対立する相手の考えを知ることが自分の至らぬ点に気付く絶好の場と考えるなら、相手はなくてはならぬ協力者となる。勝敗に拘わらず共に進歩成長できる。

ゆえに、重要なのは勝敗ではない。共に能力を高め合い、協力していける人間が望まれている。それは理性で考えるのではなく、心を司る魂を原理とし、理性を手段として使うべきである。このようにして心の中に平和の砦を築けるならば、私たちは争いのない平和な家庭や組織、ひいては戦争のない平和な世界を実現していけると確信する。これでいいのかと自分に問いかけ、自己を創造していきたい。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2022年7月)より』

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