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Vol.247 「実行するは、我にあり」

2022/11/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

今回の表題「実行するは、我にあり」は、自分が決めたことを実行するのは自分しかないことを示している。前回「覚悟を決める」では、覚悟して決めたことを実行に移すまでの間には、天地の開きがあると述べた。今回は、自分が決めたことをどれだけ実行できたか、102歳を迎える私の生涯から振り返ってみたい。

私が実行した中で一番大きな結実は、戦後親子3人で始めた資本金50万円の零細企業が、70数年後の現在、製品の半数以上を輸出に割く世界的企業に発展したことである。もちろん、従業員をはじめ、関係する多くの協力があったからこそ得られた賜物である。海軍で習得したリーダーシップと航空機整備の知識技術を基に、改善と改革を実行し続けたのが、発展の基礎になったと自負している。

その間、私の日常の生活をどう実行してきたかを述べたい。海軍で教わったリーダーシップの要諦は「指揮官たるべきものは、一度開戦となれば、部下を死地に赴かせることもある。そのような場合、部下がきんぜんとして死地に突入するような関係を常につくり出すことである。そのためには、指揮官は、かねてから部下の尊敬と信頼を受けるよう精神修養に努めなければならない」と教わった。山本五十六元帥の「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」の名言もある。

戦後、小なりといえども事業の運営を任された20歳代の私は、自らの精神修養のため何を実行するべきか考えた。まず、身近なことで思いついたのは禁煙であった。「分かっちゃいるけど、止められない」ようでは、人の上に立つ資格はないと思った。幸いにも、予想に反して拍子抜けするほど簡単だった。ところが毎度の食事が美味しく、見る見る太ってきた。対処するには減食するか運動しかないと考え、アラームなしの5時起床で早朝ジョギングを決めた。起こされて目覚めるようでは、何をやっても駄目だと思ったからだ。

アラームなしの5時起床は、爽快な充実した一日を過ごすスプリングボードとなった。これは今日まで続いている。但し、ジョギングは93歳までの53年間で、その間各地のマラソン大会にも参加した。また、毎年元日に、朝日を望みながらの寒中水泳を93歳まで49年間続けたことも誇りである。かくして次々と困難な課題に挑戦し続けている私の姿を見て「意志が強いなぁ」と驚かれたが全く違う。それは、己に克てた喜びであって、敢えて苦難を選び、実行し続けたからこその賜物なのである。

苦難こそが進歩の糧だと思うと、我が身を律する環境に置くことが苦にならなくなり、苦即楽の別天地が生まれた。従って、続けずにいられなくなって次々と習慣がつくられ、習慣は期せずして人格の修養となり、それにより運命がつくりあげられたといえる。

なぜ私が誰もが嫌がる苦難に挑戦し続けたのか。煎じ詰めると、3年間、南の戦場において何度も死に直面した中から得た、魂の目覚めによる。それは、昭和19年1月、ラバウル基地であった。死が迫っている切迫した深夜、自分が魂の存在であることを直感し「喜んで前から撃たれて死のう」と、スパッと死を覚悟したことである。

それ以来驚くなかれ、飛び交う弾雨の中を臆することなく平気で動き回れるようになった。この思いがけない心境と行動の変化は、自分の力を超えた魂の働きに相違ないと確信した。それ以来、死ぬも生きるも気にならない生死を超越した大安心の境地と、大いなる自信を得られた。この魂の目覚めこそが、戦後の生涯を貫く敢闘精神の土台になって克己の実行を支えてくれた。決めたことをやり通したこれまでの歩みは「実行するは、我にあり」の日々であったといえる。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2022年9月)より』

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