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Vol.248 「生き方の法則」

2022/12/02

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

生き方の法則とはどういうことだろうか。私たちの生き方には、動かすことができない、おきて-定理があるように思う。生き方の基本は、その人が持つ人生の目的によって決まってくる。現実にはそれが、物事に対する態度と対処のあり方に表れる。さらに、生き方の結果は必ず自分に返ってくる。ゆえに、生き方が自分の人生を創るといえる。また、私たちがどのような生き方をするかは本来自由である。だからこそ、どう生きるべきかを自ら定めなければならない。

したがって、生き方をかくあるべしと決めるものではない。生き方は、自主的に自分が選ぶべきであり、万人が違っていて当然である。それは自分が決めて実行できるものでなければならない。そのためには、自分の一生を費やしても悔いない、生きる目的を持つ必要がある。私は戦場で死に直面してはじめて、何のために生きるべきかを知った。

煎じ詰めるとそれは、死に方を自分で決めたことによる。なぜ生き方を決めるのに死に方が必要だったのか。それは、死に方が決まってはじめて、積極的・創造的生き方ができたからだ。生きているということは、死に近づいていることに気付くなら、誰でも一日が貴重に思えて、意義あるものにせねばならぬという気になる。しかし人は、死を縁起でもないと言って考えようともしない。死を考えずして、どうして積極的な生き方ができるだろうか。生と死は表裏一体であって、切り離せない。捨てなければ得られないのだ。図らずも、この生死一如の心境を若くして得た私は、何という幸せ者かと思う。

私ほど死に目に多く遭遇した人は、日本中でも稀有だと自負している。かつての太平洋戦争で3年間、当時の最前線だったラバウルをはじめ、サイパン島・ペリリュー島・フィリピンの4つの戦場で戦い抜いたのである。中でも、私が乗船したサイパンへ向かう貨物船に魚雷が命中し、太平洋の波間に一人漂流した経験もある。幸いに味方の駆逐艦に救助されたが、大多数の同僚は船と共に沈んでいった。その後の各戦場においても、死中に活を得た話は尽きない。当月、102歳を迎えてなおかくしゃくとしているが、裏を返せば実は死に損ないともいえる。

思えば3年間、生死の境を翻弄され続けたが、奇跡的にも生きていた。同時にそれは、思いがけない精神的成果をもたらしてくれた。その一つは、死んで当然の私が生きられたのは天の配剤だと信じるようになったことである。以来、生きていることだけでも有り難く思うようになり、その恩に報いねばならぬとしきりに思うようになった。さらには、自分に死を受容させてくれた魂の存在を知ったことである。この二つの精神的成果は、期せずして克己心となって、可能性の追求を容易ならしめ今日をつくったといえる。

最後に、私がいかに可能性を追求して生きてきたかをお伝えしたい。別添「私の健康増進歴」から「生き方の法則」をくみ取っていただければ幸いである。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2022年10月)より』

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