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Vol.262 「敬、怠に勝てば吉なり」

2024/02/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

表題は、東洋古典にある言葉で、「『敬しみの心が怠りの心に勝てば吉なり。逆に怠りの心が敬しみの心に勝てば、その結果は亡びに至る』の意である」と致知誌に解説されている。私には「敬しみの心」という言葉の意味をイメージできなかったが、それは「謙虚である」ということを知った。

先日この会で「あなたはどうしてそんなに謙虚になられたのか」と、質問されたことを思い出した。その時には、とっさに正確な返答ができなかった。自分が謙虚だなどとは思ったことがなく、私の生き方は少年期から、独立自尊(他に頼らず、自分の道は自分が開く)という筋金入りの信条だったからだ。

謙虚とは一般に、控えめで、素直なことだといわれている。人間ができてくると、自然にそういう謙虚な態度や振る舞いができるようになるという。それは意図したものではなく、普段の生活態度から滲み出るものである。それを他から見て、謙虚だと言っているだけではないだろうか。

私が謙虚に見えたのは、青年期の3年間戦場で過ごしたとき、自分が魂の存在であることに目覚めたことが根底にある。それは、連日米機の迎激戦で私たち地上員にも死傷者が増えていったことに始まる。毎夜、「今日は無事だったが、明日は俺の番かも知れぬぞ」と言い聞かせて眠った。疲れて眠っていたある深夜、心の奥から「びくびくせずに潔く死ね」という声が聞こえてきた。同時に、「自分の死は、祖国と私の家族の平安のために捧げる崇高な行為である」と悟った瞬間、「前から撃たれて死のう」と死を受け容れた。それは自分が意識して決められることではなく、偉大な力(魂)が働いていると直観した。

それ以来、不思議にも雨と降る弾雨の中を平気で動き回れるようになった。自分の命さえ投げ出させる魂の力を認めずにはいられなかった。戦後、先哲の書に、「魂は肉体に宿り、心と身体を統御・支配する」とあり、魂の存在に確信を得た私は、生活を魂に仕える克己の生き方に一変した。それは、自分を自由にコントロールできる喜びで、快感に満ちていた。

まず、毎朝アラームなしの5時起床から始めた。それが習慣になると、さらに厳しいハードルを自らに課して乗り越えていった。その喜びは大きく、次第に自分の無限の可能性に向かって進められた。それは、他からどう見られるかなどは問題ではなく、克己の快感で過ごす日々の喜びであった。大いなる摂理の基に生かされている「今」に感謝して、魂に仕える克己の生き方が、他からは謙虚に見えたのではないかと思う。

とにもかくにも、そのような日々が103歳の長寿と健康をつくってくれたのは間違いない。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2023年12月)より』

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