航海日誌
「是の処即ち是れ道場」
2026/05/07

今月の表題は、道元が愛した言葉である。京都で亡くなる前、「是の処は即ち是れ道場」という言葉を書き残した。苦しい死の床にある場所でも、自分を磨く道場なのだと言っている。
私も青年時代に表題の意味に似た、「常住坐臥側道場」の言葉をよく耳にしていた。海軍に志願した基礎訓練の1年間は、当初理不尽な鉄拳制裁を浴び涙した。が、それを力に変えて私の不屈不撓の心身を形成するに相応しい、貴重な運命となった。
訓練後には南方の戦場に赴き、その3年間に4か所の戦場を駆け巡り、道場どころか、毎日生死を分ける緊張した日が続いた。数知れぬほど死ぬ目に遇ったが生きていた。生かされていたのである。
死の苦しみを舐めたからこそ、生きていることの素晴らしさを知ることができた。以来、自分の身に起こる出来事は、いかなることでも、すべて必要だから与えられたのだと受け取れるようになっていた。このような心境を得て生還できた私は、何という果報者かと心から感謝せずにはいられなかった。
南の果てで果敢に散った戦友のためにも、生かされた命を無駄にしないと誓った。この苦しみや悲しみを経験したことが、戦後の生き方にも影響した。安易に流れるのを畏れ、常に困難な課題を自分に課した。そのおかげで戦後80年間の私の人生は、素晴らしいものになると共に、105歳の長寿と健康をつくってくれたのである。
戦争は決してあってはならないが、死に向かい合った苦しみが、自らの成長進歩をもたらすのを自覚できた。さらに、苦難を乗り越えたことが、自分を統御・支配できる自信となった。私の実体験が示してあまりある。
次に、我社の発展の素因となった油圧クレーンにどうして着目できたのかも述べてみたい。それは日米開戦直後、私が乗ったラバウル行きの貨物船が途中、占領直後の米領ウエーキ島に寄港した時に見た光景が発端になっている。
半裸の米軍捕虜が運転する土木・建設の諸機械が、すべて油圧で動いているのが分かった。職工学校で習った機械技術の素養と、航空機の油圧装置に祥実していたことが私の運命を開いてくれたのである。
戦後、親子3人で資本金30万円の小企業を始めた。寝食を忘れ、作りあげた油圧クレーンが日本初のものだった。80年後の今、我社の生産量は3000億円を超え、6割強を21ヶ国に輸出している。輸出先のトップが米国であり、世界的企業に発展している。私はそのことで、密かに溜飲を下げている。
それを引き合わせたてくれた宇宙と魂にいくら感謝しても尽きない。「是の処即ち是れ道場」、身をもって「苦難が自分の人生をつくる」真髄を実感している。
『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2026年3月)より』