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Vol.252 「積善の家には必ず余慶あり」

2023/04/04

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

表題は、善行を積み重ねた家には、必ず子孫にまで及ぶ幸福がもたらされるという。これまで私には、善行を意識した記憶はないが、人生は幸せに満ちている。これはおそらく、両親を始め先祖の善行がつくってくれたに違いない。いずれにしても、今の私があるのは、両親に培われた精神的な背景が影響している。

それは、自主自律・独立自尊・孤独だといえる。それらは幼少の頃から既に始まっていた。私は北海道で生まれて5歳まで過ごした後、父の故郷さぬき高松に帰り住みついた。すぐ幼稚園に通わされたが、問題が起きた。同じ園児たちと話が合わなかったのである。彼らの讃岐弁が十分理解できず、私の言葉が分かってもらえなかったことから、自然に独りで過ごすようになった。この時から孤独が始まったといえるが、寂しいとは思わなかった。

小学1年生になった時も、幼稚園の時と同様に、級友達の談笑の中にすぐ入っていけなかった。今でもそうだが、元来内気だったようだ。1学年の終わりに渡された通信簿を両親に見せた。品行方正・学力優等とあり、席次1番と記されていた。まさかと思った。家で教科書を開いたことがないし、親に「勉強しろ」と言われたこともなかった。続く5年間も首席を通した。これはきっと、両親を始め先祖のれいりな血筋が私にも流れていたからだと思った。私が親になった時にも、子供に「勉強せよ」を禁句とし、自主自立を望んだ。

また、小学校在学中、ずっと級長を命じられたことが私をさらに孤独にさせた。皆と同じであってはならない、違っていなければならないと思うようになった。この独立自尊の精神は、私の決断力を高めた。早とちりして失敗もあったが、後悔はしなかった。

小学校を終える頃、父から大阪の職工学校へ行けと言われた。私は職工という名前が気になって返事を渋ったが、競争率が8倍の難関だと聞いて挑戦する気になった。難なく入学し、親戚の一間を借りて下宿生活を始めた。親の膝下を離れて自由な身になり、自主自律を育む道場になっていた。孤独が産んだ成果であり「可愛い子には旅をさせよ」である。13歳の子供を見知らぬ土地に送り出した、父の深謀遠慮と英断を今でも有り難く思っている。

5年間の学業を終えると、2年後に徴兵検査があり、陸軍は2年、海軍は3年の兵役の義務があった。丁度、海軍に1年間の志願制度が新設され、兵役義務に準ずるという。普通3年の兵役義務が1年で済むという甘言に魅かれて、徴兵検査1年前に志願し、その第1期生となった。その頃世間では「人の嫌がる軍隊へ志願する馬鹿がいる」と囁かれていた。

海軍は殴って教える所だと聞いていたが、入隊してみるとその教育訓練の凄さは想定外だった。普通3年かかるのを1年で済ますのだから当然だというのは錯誤だった。1年後の私は、自分とは思えぬほど逞しく成長しており、いかなる困難にも耐え得る自信を持つことができていた。同時に、自分の選んだ独立自尊の考えを誇りに思った。

孤独が、自主自律を生み、独立自尊を育んだのは間違いないが、戦後の生き方を決定づけた魂についても述べねばならない。それは、ニューギニアの東側の島、ラバウル基地の出来事である。連日、100機に余る戦爆連合の来襲があり、壮烈な邀撃戦を戦ったが、その都度、私たち地上整備員にも戦死者が続出した。しかも、我が方の人員機材の補給が満たされないのに比し、米軍は日増しに増強して戦力の差は大きくなっていった。この状態が続けば、私の死も近いことが予想された。毎夜「今日は無事だったが、明日は俺の番かもわからんぞ」と、言い聞かせて眠った。

疲れて眠りについた深夜、心の奥から「びくびくせずに潔く死ね」という声が聞こえてきた。ハッと気が付き、「そうだ!自分の死は祖国に捧げる尊い行為だ」と思った途端に、すんなり死を受け入れることができた。「いずれ死ぬ身だ、前から撃たれて死のう」と思った。しかし、このような大それた考えが自分にできるはずがない。確かにこれは、宇宙の意志を帯びた魂の力だと直感した。自分が魂の存在であるのを知った瞬間だった。死という究極の孤独が知らせてくれたのだ。それ以来、心は晴れ渡り、勇気が湧いてきて、不思議にも弾雨の中を平気で動き回れるようになった。だが、3年間の奮闘の甲斐なく戦いは終わりを告げ、私は生きていた。戦後は生かされた命を人のために活かし切ろうと歩んだ。

今も孤独は、自分と向き合う、魂との交流の場になっている。究極の孤独が産んだ魂は、心と身体を統御・支配し、克己は苦でなく喜びになっている。寡黙だが直感が鋭く、人を見る目ができて友は少ないが深い。この孤高の存在を素晴らしい特質だと自負している。

102歳の今も孤独を楽しみ、克己の生活を営み、心は平安と豊かさに満ちている。両親と先祖の積善に、満空の感謝を捧げてやまない。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2023年2月)より』

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