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Vol.254 「人生の四季をどう生きるか」

2023/06/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

私たちの人生には四季のごとく変化しており、春のような穏やかな時、実り多い秋の豊かな時、冬のような厳しく辛い時期がある。表題はそれら環境の変化をどう捉え、人生の四季をどう生きればよいかを問うている。哲学者、西田幾多郎は「環境によって人間は変えられるが、人間は環境をつくる」と述べている。私も、運命は自らつくっていくものだと考えている。

普通、運命は宿命と同様に、変えることができないと思われているが、運命というのはその素材を与えるだけで、受け取り方と対処の仕方によっていかようにも変えられる。もし、運命には指一本触れることができぬなら、私たちは運命に操られるロボットになってしまう。人間は運命をつくるからこそ存在理由があり、また、そこから主体性や創造性が生まれるのである。

運命が人生そのものである以上、人生に苦悩は不可欠といえる。生きることに意味があると考えるなら、苦悩することにも意味がある。私の人生は運命に叩かれ鍛えられ、苦しむことがなかったら、形成できなかったと断言できる。青年期に過ごした戦場の体験から、明日を知れぬ運命をどう受け容れればよいかを体得できた。当時の戦況から見て、死が免れないなら潔くこの世と決別しようと、進んで死を受け容れた瞬間、全てから解放された自由を得ることができた。

あの惨めな思いは二度と味わいたくないが、運命とはそういう選択不可能な出来事なのである。例え好ましくない、避けたいと思う運命ほど、貴重な教訓を含んでおり、反対に好ましい運命には、得るよりも失うものが多いことを知った。我が身に起こるすべての出来事には、無駄なことは一つもない、自分に必要だから与えられたのだと受け取るならば、人間として大きく成長できるのではないか。

運命には、無駄なもの、無価値なものは何一つないのだと確信している。挫折も失敗も、病気も失恋もプラスにできるし、どんな過酷な環境に遭っても自分を教育する種は必ず見つかると考えている。つまり「良い運命」も「悪い運命」もすべてプラスにできるのだ。「人間万事塞翁が馬」の例えのように、幸運の裏に災いの種が潜んでいるし、不運と思われる中にも幸運の種が隠されている。現に私の人生を振り返ってみてもそれがいえる。

現在、我が社の主力製品である油圧クレーンはどのようにして生まれたかにもある。その要因の中で最も影響を受けたのは、日米戦初頭に、占領して間もないウェーク島で見た光景である。滑走路の周りに、赤く日焼けした半裸の米軍捕虜が運転する無数の土木機械に圧倒された。それらの機種はいずれも日本にはなかった。ブルドーザーやショベルカーなどで、ゼロ戦の主脚収納と同じ油圧であるのが分かった。凄い国と戦争を始めたものだと思った。その強烈な印象が、数年後の油圧クレーン発想の起因となったのである。運命からもたらされたという他はない。

ウェーク島に寄港したのも運命といえるし、私がその貨物船に便乗していたのも、前線に出してくれとの申し出に応えた上司の指示だった。さらに、船長が出航後、第一線に出ていく私たちを励ますために、ウェーク島見学の予定外寄港をしてくれたのであった。運命というのは、偶然のように見えるが、必然なのである。眼に見えない強い糸でつながっているのではないかと思う。

人生は「のたうち回って生きていくことに醍醐味があるのだ」と悟ってしまえば、もう下に落ちようがないから後は良くなっていく以外にない。成功する人は皆、いつでも裸一貫になる覚悟ができている。かつて私も、巨額な企業拡張資金の融資を受けるため、個人資産を担保に差出し、いつでも無一物になる覚悟をした。苦痛や不安を伴うことを引き受ける意志がなければ、誰も成長しないし何事も成就しないだろう。

我が身に起こる出来事は全てプラスにできる。人生に何一つ無駄はない。「失敗をした。ああ、失敗させてもらって有難い、自分を成長させるために神仏はこの失敗を与えてくれたのだ」と、それを糧に成長しようと考えられるようになる。人間的成長にとって、人生に起こるどんなことにもマイナスになることは何一つない。全てが自分の栄養となり、人生には不運も幸運もない。そのまま受け容れて、自らの成長の糧とすることである。

私は青年期の過酷な経験から死を見つめ、その出来事を活かし、運命を招き寄せ、自分の人生をつくってきたといえる。この秋103歳を迎え、人生の四季では玄冬といえるが、さらに思索を深め、精神的成長を目指して意欲満々である。一度限りの人生の四季を深く味わい、良きものにしたいと考えている。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2023年4月)より』

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