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Vol.257 「学を為す、故に書を読む」

2023/09/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

「学を為す、故に書を読む」は、幕末の儒者佐藤一斎の言葉である。学ぶために書を読むことであるが、ここでいう学とは知識を得るのみではない。自分をつくるためである。書を選んで読み、行動に移して自分がつくりあげられる。

私たちは誰もが自分をよくしたいし、もっと伸ばしたいと望んでいる。また、それを学ぶ書は巷に溢れている。しかし、その書をいくら読んでも実行に移さない限り身に付かない。それらの書から、どうすれば自分がよくなるかを知識として頭で理解しても、なぜか行動に移せないでいる。それを行動に移し、続けていくのは意志が関係しているのではないか。その意志の強さが「三日坊主」になるか「やり通せる」かになっている。その分かれ道は、意志が自分のどこから出てきているかの出場所によると思う。

その出場所は二つあって、心(アタマ)から出る意志は弱く、魂(肚)から出る意志は強いといえる。ところが、私たちは自分で意識できる心というものが、精神作用の全てだと思い込んでいて、魂なるものの存在をアタマから否定してしまっているが、心と魂は別物である。

私たちは、「魂が常に目覚め、冴えている人」を肚の据わった人と称している。重大な意志決定を難なくつくり出す人である。これの反対が、肚が据わってなくて心が働きすぎ、騒ぎすぎて自分を処理しかねている人である。「肚のできた、魂の働いている人」は、心が無駄に動くことがないから不動心を持つことができる。“虚心”にもなれ、怒りや恐れで心が波立つことがない。また、勘が鋭い。

したがって、肚が据わっていて魂が常に目覚めている人は、なにか「やるぞ」という決意はもちろん心でするのだが、それを魂に聞かせ、魂が受け取ることによって強い意志となり、「やり通す」ことが容易になる。しかし、魂が眠っていると心の決意を「聞いてくれない」から、せっかくの決意も三日坊主に終わってしまうことになる。

楽しくないことは長続きしないのも事実である。例えば、早起きを励行し、これを何十年も続けている人を「意志の強い人だなぁ」と感心するが、本人は気持ちがいいから続けているのである。それを無理に自分に鞭打ってやっているのであれば続かない。「気持ちがいい」のだ。気持ちがいいから長続きする。

ジョギングを毎朝続けている人を見ても、走るのが苦痛と感じる人の目には「凄い意志力だなぁ」と映る。本人は気持ちがいいから走っている。走ること自体が楽しいし、走り終わった後の快さを知っている。だから長続きする。何事も楽しくないことは続かない。私は楽しいと感じ、継続する快さを知る一人である。

私は戦場で何度も死に直面する間に、躊躇することなく死を受け容れることができた。その時に私にそうさせた「何物か」が「魂」と呼ぶべきものと確信したのは、先哲の書からである。先人の書を読み、自分が魂の存在であることが間違いないと知り得た時の喜びは大きかった。102歳の今も、読みたい書が多くある。日々書を読み、感銘を受けた部分は抜き書きして自らに刻み込んでいる。命の限り書を読み、自らを高めていくことに寧日がない。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2023年7月)より』

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