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Vol.260 「出逢いの人間学」

2023/12/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

表題は、出逢いによってしか得られない「人間の存在と本質」を問うている。私の人間学は、魂の存在に出逢ったことに始まっている。それは、青年期に南方の戦場で得た感動の出来事である。

私のいた1944年1月のラバウル基地には、毎日100機に余る戦爆連合の空襲があった。当初は待機していた200機余の我が戦闘機隊が、一斉に邀撃に飛び立ち撃退していた。戦闘機隊を出発させた後、私たち地上勤務員は滑走路の傍につくった土盛りの防空壕に退避するのだが、B24が落とす1トン爆弾には、壕もろとも吹き飛ばされていた。だが、戦場での死は常であり、少しも怯むことなく勇敢に戦っていた。毎夜、「明日は俺の番かも知れんぞ」と自分に言い聞かせて眠った。

ある深夜、心の奥から「びくびくせずに潔く死ね」という声が聞こえてきた。ハッとして「そうだ!私の死は国に捧げた崇高な行為で、男子の本懐ではないか」と思った途端、躊躇なく死を決意することができた。それまで死の恐怖に悶々としていた心が晴れ渡った。以来不思議にも、飛び交う弾雨の中を平気で動き回れるようになっていた。この私の豹変は、きっと魂の仕業であり、私自身が魂の存在であると直感した。同時にそれは、私の生涯の生き方を決定づけることになった。

それにしても、生きている私に死を決意させた魂の力は、どうしてつくられたのか不思議に思えた。それは、今生きている動物・植物・人間のすべては、宇宙の進化の意志(神)によってこの世に生を与えられたものであり、私たちの生命も魂も、大自然の摂理・宇宙の意志を帯びている分身である。だからこそ偉大な力を発揮できたのだと思った。しかし、私の魂に関する認識は戦場での直観であり、錯覚かもしれなかった。幸いにも戦後、三賢人の書に出逢い、私の認識が正しいことを知らされた。

その一人は、ロシアの文豪レフ・ニコラエヴィチ・トルストイである。その書『人生の道』に、「魂は肉体に宿り、心と身体を支配し統御する」とある。この言葉に私は、目から鱗が落ちる思いがした。魂が主人で、心と身体は魂の具現化に必要な従者・道具だという。続いて彼は、「我々にとって一番尊いのは、独立した人間になって、他人の意志に左右されず、自分の意志に従って生きることである。そのためには、『魂』に仕えて生きなければならない。『魂』に仕えて生きる為には、肉体の欲望を征服しなければならない。故に人間の真正の生活は、低劣な動物的本性から『魂』の生活に変わるための漸進的自覚以外にない。その自覚はその人の思想如何によって決定される。即ち『魂』のささやきが知らせる思想によって、初めて決定される。そしてその後の凡ての行為は、召使の如くその思想に仕え、その意志を遵奉する」という。

トルストイのこの言葉は、戦後に私が実行している魂主導の生き方そのものであり、大いに自信を深めることができた。さらに、彼は自分の豪華極まる生き方の中に幸せはあり得ないと、82歳のとき2回家出をし、野たれ死にした。自分が唱えている崇高な魂の持つ思想を、自らの死をもって明示した。

もう一人の出逢いは、ヴィクトール・E・フランクルの書『夜と霧』である。オーストリアの精神医学者だが、ユダヤ人のためドイツのナチに捕えられ、アウシュビッツ収容所に送られ、妻はガス室で殺された。彼は収容所内で不思議な光景を目撃した。囚人は逐次呼び出されガス室に送られるので、いつ呼ばれるか戦々恐々としていた。

呼ばれた中の一人は昂然として国歌を歌いながらガス室へ入っていき、また、呼ばれた若者の身代わりを買って出た不可解な老人もいた。彼はこれらを見て感動し、このような崇高な犠牲的精神は人間のどこから出ているのかを考えた。後にそれは、超越的無意識の行為であり、東洋でいう魂であると発表した。

さらにもう一人の出逢いは、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉である。彼は紀元前450年、日本は縄文時代で竪穴式住居に住み、日々食べることしか考えなかった頃である。既に彼は、「魂は不滅であり、真の自分は“魂”である。徳を養い善を行え」と、アテネ市民に説いて回っていた。その頃日本で「徳とか魂」を説く人は皆無だった。彼が説いた「真の自分は“魂”である」は、私の最初の直観と同じだ。

戦後先哲から、人間学の真髄である魂の存在を知らされた私は、魂に従って生きようと固く心に誓った。戦後の生活は厳しかったが、私にはむしろ天国に思えた。生命の危険が全くなく、生きていることだけで喜びがあった。やがて、その平穏な環境に違和感すら覚えるようになった。同時に、海軍での規則正しいスタンバイの生活がしのばれ、矢も盾もたまらず始めたのが、アラームなしの5時起床である。それが今日まで63年間続いており、103歳の私をつくったのかもしれない。人間にはある程度の緊張が不可欠なのだ。

自発的な早起きは起床後のジョギングを生み、ジョグ後に年間を通して屋外のプールで水泳、続いて元日の寒中水泳となり、それは93歳まで49年間続いた。他から見て、よほど意志が強いからだと思うだろうが全く違う。魂に従っただけであり、やり終えた後の爽快感も続ける原動力になっている。しかも、自分を統御・支配出来た克己のもたらす喜びは最大であった。人間学真髄の魂の存在を知り、3人の先哲の書に出逢ったことが、私に奇跡の人間力をつくってくれたのは確かであり、感謝してやまない。命ある限り、魂に仕え、独立自尊の道を歩んでいきたい。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2023年10月)より』

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