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航海日誌

「一念の微」

2025/09/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

「一念の微」とは安岡正篤師が知人に頼まれてつくった家訓「傳家寶」に記された言葉である。家が栄える永久の計は、かすかな一念の積み重ねによってきまるという意味である。自らを成長させ、家を栄えさせるための真髄であろう。私は「行動は習慣をつくり、習慣は人格をつくり、人格は人生をつくる」と、平常の行動の積み重ねで人生がつくられることを述べてきた。その104歳までの、一念の微を振り返ってみたい。

南方の戦場で21歳から23歳までを過ごした私にとっては、命を脅かされる心配がない戦後の生活は天国のように感じた。しかし、かつて過ごした海軍入隊初期のきびきびした生活が懐かしく、戦後にそれを導入していった。

まず、毎朝アラームなしの5時起床を課した。これが思わぬ効果をもたらした。一日中「気合いのこもった」充実した気持ちで過ごせるようになり、自分をコントロールできた喜びは、他のいかなる喜びより大きいのを知った。その経験から、次々と厳しい課題に挑戦していくようになった。早朝のジョギング、冷水浴に始まり、続いて元旦の海での寒中水泳は49年間93歳まで一度も休むことなく続けた。

なお、この語録である。平成3年、71歳でパソコンを習い、エッセーを記したのがきっかけになった。平成11年12月以降、今日まで約26年間続いている。人間修養の致知誌のテーマに、毎月どう応答するかに頭を悩ませたが、自らの体験を振り返り、真剣に取り組んできた。

これらは苦難ではあったが、後に創造の喜びに変わっていった。これまで自分に課した寒中水泳やエッセーが、何十年も続けられたのは、苦難が大きいほど成長があり、喜びがあることを知ったからであって、意志が強かったわけではない。懸命に自分の可能性を追求してきたことからの学びと、喜びが原動力になっている。

戦場での3年間は、死を覚悟した毎日だった。ある深夜ふと眼が覚め、「びくびくするな、潔く死ね」という、天の啓示が聞こえてきた。それを、心でなく、魂が受け容れたのだと直観した。以来、私には魂があるのではなく、私自身が魂の存在であると信じるようになった。同時に、地球上のすべての生き物は、宇宙の意志によって生かされているのだという、感謝と畏敬の念で過ごすようになった。

同時に、過酷な逆境体験は私を逞しくし、戦後の行動も捨て身になっていたことが他からの信頼と協力を生み、大きな励みとなった。魂主導の生き方で、「一念の微」を積み重ねることによって、戦後の生涯を素晴らしいものに導いてくれたといえる。宇宙の意志・神・天の導きに、満腔の謝意を捧げたい。

 

話は変わるが、先日「質」という問題について耳寄りな新聞記事を見た。
1つは、日鉄が米国のUSスチールを買収したことである。それは、日鉄の経営手法の「質」がダイナミックな企業経営の原則で経営していたに比し、USスチールの官僚的経営の将来を見据えた米国政府は、買収を受け入れざるを得なかったからだと思う。

2つ目は、トヨタが米国での販売価格の値上げを宣告したことである。トヨタの車が米国の同種の車に比し、品質がはるかに勝っている事を米国政府が認めざるを得なかったからである。  

タダノを見てみると、昨年度の売り上げは、創立以来最高の3,000億円、6割強は輸出であり、輸出先のトップは米国である。我が社の製品が米国の同種のものより品質が勝っている故、輸出が増えているのである。

 

80年前、日米戦争では、米国の圧倒的な「量」で日本は敗戦を喫した。私はその悔しさがずっと尾を引いていたが、最近のこれらの状況から胸のわだかまりが消えている。もう世の求める世界は一体化しており、「量」から「質」の時代に代わったと言えよう。

 

これもまた、経済界にとっての「一念の微」と言えるのではないだろうか。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2025年7月)より』

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