
今月の表題「磨すれども磷がず」は、孔子が当時のことわざとして紹介している。真の意志を持っている者は、どんな抵抗・障害にあおうとも志は決して挫けない。そういう不撓不屈の強い意志をあなたは持っているかと問うている。
顧みれば私の生涯に、強い意志がつくられた機会が二度ある。その一つは、徴兵1年前20歳の頃、海軍に志願入隊したことである。海軍は殴って教える所だと聞いていたが、入隊した横須賀海軍航空隊練習部は、聞きしに勝る凄さであった。
私たち入隊者の動きを見ていた教員から、いきなり「動作が鈍い」「気合が入ってない」と叱正されるとともに、顔つきが変わるほど鉄拳の制裁を頂戴した。親からさえも叩かれたことがないので、よく応えた。普通3年かかる徴兵義務を1年で済ますのだから当然と思うとともに、私たちを鍛えてくれているのだと受け取っていた。
訓練を終えた1年後、鏡を見て驚いた。自分ではない、引き締まった顔のたくましい姿が映っていたからだ。その顔には、不撓不屈の精神がみなぎっていた。
もう一つは訓練後3年間の戦場体験である。死と直面する日々に自分が魂の存在であるのを知り、自分に死を受け容れさせたことである。その偉大な力は、宇宙の意志が魂を動かしたからだと直観した。以来、魂主導の生き方で、心と身体を統御・支配し、不撓不屈の強い意志をもてたことを今も誇りに思っている。言うまでもなく、私の戦後の生き方を一変させた。魂主導の生き方が、元日の寒中水泳を29年間続けたことや、このエッセーを26年余継続できていることにもつながっている。しかも、それが現在の長寿と健康をつくったといえるだろう。
もともと精神というのは、肉体のように形があるわけではないから、鍛えて強くすることはできないのである。ならば、不撓不屈の意志を強くするにはどうすればよいのだろうか。一つは、その意志が身体のどこから出たかによって決まるといえる。心でつくった意志は弱く、魂がつくった意志は強いのである。
なぜなら、心は自分がつくったもので、生れた時にはなかった。2、3歳頃から言葉を憶え、物事と言葉を合わせることから考えるようになり、それが理性となって心の大部分を占めているのである。
ゆえに、心は理性の合理的にしか考えられない欠点を持っており、信じるとか愛するという「感じる」領域には、盲目同然といえる。しかも、有利な方へコロコロ変わる欠点もある。魂のみがどんな抵抗・障害にあおうとも決して挫けない意志をもって、私どもを正しく導いてくれるのだと私は信じている。魂の分身である良心が、心の偏りや行き過ぎを正す強い力を持っているからだ。
いずれにしても、魂主導の生き方が私の人生を豊かな心と幸せに充ちたものにしてくれたといえる。宇宙の意志[天]に対し、いくら感謝しても尽きない。
『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2025年5月)より』