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Vol.246 「覚悟を決める」

2022/10/03

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

覚悟を決めるとは、予想される重大な事態に対して強く決心することをいう。覚悟を決めた経験が私にも何度かある。最初は、青年期に南の戦場に向けて故国を出るときで、死の覚悟であった。ところが戦場(ラバウル)に着いてみると、その覚悟がいかに不確かなものであるかを知らされた。連日の烈しい弾雨が飛び交う中へ、躊躇してなかなか飛び込んでいけない自分がいた。覚悟して決めたこととそれを実行に移すことの間には、天地の開きがあることを知った。この体験が、私の一生を貫く基になっている。

なぜ覚悟を決めたのに実行できなかったのか。それは、覚悟を頭か腹か、どこで決めたかに起因すると思う。三日坊主という言葉があるが、私たちは何か良い習慣を身に付けたい、悪い習慣を止めたいと決意して取り組んでも、いつの間にか尻すぼみになる。何とかしようと自分に鞭打つが結果は元の木阿弥になってしまうことが多い。

決意が自分のどこからでたかが、「三日坊主」になるか「やり通す」かの分かれ道となり、それを「意志が弱い、強い」といっているのではないか。頭「心」がつくる覚悟は弱く、腹「魂」がつくる覚悟は強いといえる。ところが、私たちは自分で意識できる「心」が精神作用のすべてと思い込んでいて、「魂」の存在を否定してしまっている。心と魂は別ものである。

私たちは「魂が常に目覚め、冴えている人」を腹の据わった人と称している。腹が据わっている人の、なにか「やるぞ」という魂の決意は強い意志となり、「やり通す」ことが容易になる。例えば、楽しくないことは三日坊主になりやすいが、早起きを励行し、何十年も続けている人を見て「意志の強い人だ」と感心する。しかし、本人はこれを楽しんでやっている。辛いと感じ無理に自分に鞭打ってやっているならば、1カ月も続かないに違いない。この人は早起きを「気持ちいい」と受け止めており、心地いいから長続きする。冬は辛いだろうが、それよりも気持ち良さの方がさらに上回るから続くのだ。

成功する人は、魂の存在を知っており、「熱中する」「夢中になる」「我を忘れる」という至福の快楽を体得している。成功はその姿勢のもたらした結果に過ぎない。物事に「打ち込む」のは魂の働きであり、魂のなせる業である。煎じ詰めれば、魂とは、自己支配力・克己(セルフコントロール)に他ならない。自分の我や欲望を制御する力があって初めて可能となる。かのプラトンも「自分に克つことは、勝利の内の最大のものである」といった。

私が自己を制御・支配できる魂の存在を感知したのは、何度も死に直面した戦場である。自分が魂の存在であるのを知って以来、不思議にも、それまで躊躇していた弾雨の中を平気で動き回れるようになった。その変わりように目を見張るような思いがした。この体験が、私の生涯の強力な自信となっている。今も覚悟は心でなく「魂でせよ」と言い続けている。

「覚悟を決める」について、内奥から湧いてくるままを述べてきた。思えば、かつて大戦中の3年間、南方の四戦場の最前線で戦い抜いた兵士で、現在達者でいるのは私だけだろう。我ながら「よくぞ102歳まで生きてきた、そしてよくやった」と、自分を褒めてやりたい。青年期に思いがけず魂の存在を知り、覚悟を持って生きたことが、今日の私をつくっている。何と言おうと、この素晴らしい人生を与えられたことに満腔の感謝を捧げたい。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2022年8月)より』

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