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Vol.235 「言葉の力」

2021/11/02

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

言葉は、考えていることや感情を文字や音声を通して伝えるために用いるものである。また、言葉は生き物とも言われている。誰もが、言葉によって励まされたり救われたり、逆に傷付いたり嫌な思いをした経験を持つ。そのように言葉は大きな力を持っている。

言葉を使う時、積極的な言葉か消極的な言葉かによって、その人自身にも少なからず影響を与えている。言葉が潜在意識に刷り込まれて、意識が変わり行動が変化するのである。また、聞く側にとると、言葉をどう受け取るかによってそこに含む意味や心への響き方が決まるのではないか。つまり、聞く人の人間的な深さや教養の高さによって、言葉を力として活かせるかどうかである。

言葉は、私たちが幼児の頃から音声と文字で覚え、頭中に蓄えられ記憶にとどまる。だが、生きていく上で言葉に表現できないことが限りなくある。たとえば、「悲しい」という言葉ひとつとっても、どれほど詳しく言語化しても悲しさを伝えきることはできない。聞く人は自分の体験から、その悲しみの深さを推量するしか術はない。言葉は、感じることを表現できない不完全性を持っている。したがって、言葉の表面上の意味だけでなく奥に隠れた意味を斟酌しなければならない。

言葉は、人の心と身体に深く関係しており、同じことでも積極的な言葉で表現した場合と、消極的な言葉で表現した場合では、意識への影響に格段の違いがある。たとえば、「今日は気分が良くない」とか「頭が重い」などと言葉に出すと、それが事実だとしても口にした瞬間にさらに不快な気持ちになってしまう。同時に「もっと悪くなるのではないか」とか「どこかが悪いのではないだろうか」と悲観的になり、ますます悪い方に気持ちが向いてしまう。

これとは逆に、「今日も頑張ろう」とか「よし、やろう」といった積極的な言葉を使っていると生命が躍動し極めてよい状態になってくる。「今日は嬉しい」「楽しい」「有り難い」などと言った時には、何ともいえない快さを感じるものである。この感じるというのは、直ちに潜在意識に影響し、さらにそれらにつながる神経系統に表れてくる。つまり、言葉の使い方次第で、潜在意識が生活態度に表れ行動が変容し、それが習慣となって運命を変え、人生をつくるといえる。

消極的な言葉を使えば、人は愉快ではないし、言った本人も決して愉快ではない。積極的な言葉を常に使えば、その人の潜在意識は明るく照らされてくる。そうした言葉を繰り返すことで生きる活力が知らず知らずのうちに培われる。ゆえに、自分の使っている言葉によって、気持ちが塞がれたり叱咤激励されたりする事実を知らねばならない。

積極か消極かを示す例がある。コップに半分の水を見て、「もう半分しかない」と思うか「まだ半分ある」と思うかである。また、雨が降ってきた。「嫌な雨だなぁ」と天を恨む人がいるかと思うと「いいお湿りだなぁ」と天に感謝する人がいる。どちらが幸せかは言うまでもない。私と同じ年配の人が、「100歳になっても、先が思いやられる」という。一方、「ありがたい、まだ100歳だ、これからが本番だ」というのは私だ。

とはいうものの、本番に残された貴重な年月をどう生きるかである。一言でいうなら、いのち尽きるまで自分を最大限に活かす以外にはあり得ない。まだ年に似合わぬ頑健さを保ち、精神はますます冴えている。人生の総仕上げとして、一体人間はどこまで自分を高めることができるだろうか。どこまで精神的に成長できるかが、私に残された仕事だと考えている。言葉には力がある。心を良い言葉で満たして自分を活かし、同時に今までの経験や思いを言葉にして周囲の力となりたい。

―私が力を得た積極的な言葉―
「憂きことのなほこの上に積もれかし限りある身の力ためさん」(熊沢蕃山)
「いかなる過酷な環境に置かれても、精神の自由は奪われない」(ヴィクトール・フランクル)
「心を主とする勿れ、心の主となれ、克己こそが最高の快楽」(サミュエル・スマイルズ)
「生きながら死人となりてなり果てて思いのままに するわざぞよき」(至道無難禅師)

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2021年9月)より』

航海日誌