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Vol.236 「天に星 地に花 人に愛」

2021/12/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

表題を見て頭に浮かべたのは、宇宙・大自然・天・大いなるものの存在によって私たちは生かされていることである。今月、私は101歳を迎えた。100歳を迎えた時にも、よくぞこの年まで生きてこられたものだと思った。戦争を潜り抜け、波乱に満ちた人生を生かされてきたのである。なんという幸せだろうか、感謝して余りある。いつこの世を去っても悔いないとお迎えを待っていたが、何事もないまま今日を迎えることができた。

年を重ねるごとに誰もが、過去を懐かしむことが多くなる。私もこれまでの出来事をくるめて我が人生を振り返ってみた。それは一言でいうなら、僭越ながら、魂の目覚めによる克己の人生だったと断言できる。

3年余りの戦場で、死んで当然の自分が生かされていた体験から得た死生観は、私の性格を消極から積極へ一変させた。命を投げ出して烈しい弾雨の中を動じることなく行動できたのは魂の快感であった。戦後、誰もが敬遠するであろう元日の寒中水泳を93歳まで49年間続けられたのも、克己の快感がそれを容易にしたといえる。

克己が喜びになる例が登山にもある。重いリュックを背負い、生命の危険さえある困難な山に挑み、汗水垂らしてヘトヘトになって帰ってくる。困難だからこそ登山は楽しいのであって、苦しみが全くないなら喜びは半減する。頂上を極めたときの達成感が喜びとなり、次にはより高く険しい山を目指すようになる。登山も寒中水泳も予想できない困難に挑戦し、乗り越えた達成感が克己の喜びであり、自分を統御・支配できた魂の快感である。

「心を主とする勿れ、心の主となれ」という名言があり、レフ・ニコラエヴィチ・トルストイの書「人生の道」にも、「魂は肉体に宿り、心と身体を支配し統御する」と述べられている。魂は、大自然(宇宙)の意志によって与えられた生命に含まれており、宇宙の意志を帯しているがゆえに、我が命さえも捨てさせる大きな力を持っている。戦場で逃れられない死を前にして、心で死を覚悟したものの、おいそれと弾雨に身を晒すことは容易ではなかった。日々、死の恐怖と対峙する中で、自分自身が魂の存在であるのを知った。弾雨の中を平気で行動できたことから、覚悟(心)と実行(魂)との間に天と地の開きがあるのを知り得た。

魂は強い意志の力と共に愛の力を併せ持っている。心で愛することができないのは、愛が科学的、合理的でなく、最も人間的な行為だからだ。愛するとは、相手に自分の一身を委ねる命がけの行為であり、いかなる報いがあっても受け容れ、許すことである。つまり、相手のために命を捨てられる魂のみが、愛するという奇跡を生むのである。愛するとは信じることであり、魂がそれを可能にしているといえる。

戦後の私の行動は意識せずして克己の一挙手一投足に始まり、人を信じ、宇宙・大自然・天・大いなるものの中での歩みだった。幸いにも次々と幸運に恵まれ、親子3人で始めた零細企業が、社員の自主的な協力を得て一部上場の中堅企業となり、製品の半分を輸出する世界企業にまで発展することができた。しかも、101歳の長寿を与えられた私は、世界一の果報者かと感謝の毎日を過ごしている。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2021年10月)より』

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