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Vol.272 「この道より我を生かす道なし、この道を歩く」

2024/12/02

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

今回のテーマは、我を生かす道は自ら決め、その道を一途に歩み続けることを示している。先月のテーマ「貫くものを」と同じ意味を持っている。私が貫いてきたのは「独立自尊」だと記した。独立自尊という考えの底流には、自分が魂の存在であるという確信があった。それは、かつて南方の戦場で、私に躊躇なく死を受け容れさせた魂の偉大な力を体験したことによる。

魂がなぜそのような偉大な力を持っているのだろうか。私という人間は、大自然・宇宙の意志によって、いのちを与えられ生まれている。戦場での体験で、魂はそのいのちに含まれているのだと直観した。同時に、今生きている地球上の生き物のすべては、宇宙の意志によって生を与えられ、生かされているのを知った。それが、魂の持つ意志の力・愛の力だと思う。

魂というのは、戦場で死を前にしたから気付いた特異なものではない。辞典や先哲の言にも「魂は肉体に宿り、心と身体を統御・支配する」とある。レフ・ニコラエヴィチ・トルストイの著『人生の道』にも、同様の言葉が記されている。魂は戦後、80年余の私の生涯にもその働きを表さずにはいなかった。

魂の働きは、言い換えると克己の行動を求めていることである。終始自分に勝ち、思うようにコントロールできなければならない。それなしには、独立自尊も人生の目標も絵に描いた餅に過ぎなくなる。人々の多くは自分が思うようにならぬため、ストレスを起こし、己の不甲斐なさを感じているのではないだろうか。

魂主導の行動は、自分に勝つことが他の喜びより大きいので、この年になってもストレスを感じたことがない。苦しみを理解できない「脳天気」かもしれない。そうではなくて、むしろ克己の喜びが励みとなり、次々と自分の修養に努めてきた。自らに課した一例を申せば、毎年元日の朝、海で寒中水泳を44歳から93歳まで49年間続けた。誰もがやれないことをやってのけたのである。「どうだ!行き足があり、気合いが入っているといえる」だろう。これら海軍で身に付けた、自分を思うようにコントロールできる最高の喜びを享受している。

魂の存在を直観して以来、わが身に起こるいかなる困難・不条理なでき事も、必要だから与えられたのだと受け取れるようになった。そしてすべてをプラスに変えてきた。そうした独立自尊の道を歩んできた私は、世界一の幸福者だと自負している。自分で決めた道を「やってみないで何が分かるか」と申し上げ、人々の奮起を促してやまない。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2024年10月)より』

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