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Lifting your dreams
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Vol.115 ゆとり教育か、詰め込み教育か

2008/03/03

2008年2月15日、文部科学省により新学習指導要領案が公表されました。学力低下が大きな問題となり、その内容はこれまでのゆとり教育を改める内容となっています。
ゆとり教育にしろ、詰め込み教育にしろ、それぞれメリット・デメリットがあります。いずれの教育方針を採用するにしても、重要なことは、「勉強を通じ自分が将来どのように生きていくべきかを模索する土台を作ること」だと私は考えます。
今の教育には一体何が欠けているのでしょうか?どうすれば、子供の生きる力を上手くサポートできる教育体制を作り上げることができるのか、ご教示頂けますと幸いです。

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教育とは教え育てると書くが、教えるとは、学問や知識、技術を持った者が持たない者に伝達する、つまり、上下の関係を通して行なわれる。この親鳥が雛にする給餌行為に似た恩恵と依存の関係からは、真の教育の効果は上がらないのではないか。人を育てるには、我が子であれ部下であれ、まず、基本的な人間のあり方、生き方はどうあるべきかから始まらなければならない。自分からもっと学びたい、成長したいという気持ちがない者にいくら熱心に教えても、労多くして効少なく、馬の耳に念仏になりかねない。

では、どうすればいいのか。教えて育てるのでなく教えないで育てる、一見逆説的であるが、強制しない教育が結果的に最大の効果を挙げると考える。学ぶことを強いるのをやめて、自発的に学びたいという気持ちにさせることに主力を注ぐことである。もしその気持ちが起きれば、あらゆる手段を講じて学ぼうと努力するだろう。強制しない方がかえって、自らを鞭打ってでも成長しようとするのが人間の本性である。強制しないからといって、何もしなくて良いわけではない。動機づけすることが主たる仕事となる。

人間は命令され指示されるのを嫌い、教育されるよりも主体的に学ぶことの方を好む。規制されればされるほど逃れようとし、表面は服従しているように見えても、内心は反目している場合が少なくない。その反対に、信頼し、自由を与えれば、自分の行動に責任を感じるようになる。強制は人間を卑屈にし、自由は主体性を育む。このような人間観を載して子や部下に接するならば、巧まずして動機付けが可能となる。

しかし、動機づけするのに、指示や命令による強制によっては不可能である。また、飴と鞭を用いることほど愚かなことはない。私の教えない教育の第一は、子や部下にこうあって欲しいと思うことを、身をもって範を示すことにある。その想いが立居振舞いに現れ、その一挙手一投足は、必ずや子や部下に感化を与えずには置かない。感動が発奮の端緒となり、それが動機付けとなって行動の変容を促すのである。そのためには、靴の裏から足掻くような、気長い努力が必要となる。第二には、子や部下の人格を尊重することである。それには、朝夕の挨拶が人格を尊重する証となる。

家でも会社でも私から挨拶することにした。そして、自主的に主体的に行動して欲しいという想いから、出勤簿、タイムレコ-ダ-を廃止した。人間は、他からの規制によってしか、自らを律せられないようでは、成長は覚束ないと思ったからである。以来、それが我が社の文化となり、企業風土となり、発展の原動力となったことは間違いない。

動機付けを容易にするには、あなたも述べているように、何のために生きるのか、生きる目的をハッキリさせることが望ましい。目的が決まると、その目的成就のために何をなすべきかの具体的目標を自分で作らせる。次にその大目標を達成するための細分化した目標を作らせる。この細分化が動機づけのコツなのである。細分化すればするほど可能性が感じられ、これならやれそうだという気持ちが生まれ、動機づけられるのである。動機付けされた自発的な努力は快楽を伴い、快楽によって又動機付けられる良循環が出現する。

 家でも学校でも、教えることに力を入れる前に動機づけし、学びたい気持ちにさせることが、余ほど教育の効果が大になるのではないだろうか。動機づけは、教育の効果だけでなく、自発性や自主、自律の習性を身につけることとなり、教育の三大目標の一つである徳育に役立つからだ。今の教育は、知育のみが重要視され、人間の感性である心の面がなおざりにされているため、一種の精神的欠陥人間を作っている。このような環境では、感性や尊敬の念を植え付けることはできない。徳育は学校教育だけではなく、主として親達が身をもって教えることである。

要するに、ゆとりとか詰め込みの問題よりも大事なのは、いかにして、学びたい習いたい気持ちにさせるかの動機づけの基になる、主体性や自主自立の習性を身につけさせることにある。

航海日誌