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Vol.114 生かされたぺリリュ-島

2008/01/15

2007年12月、最高顧問は海軍航空隊の一員として壮絶な体験をされた太平洋の小さな島、ペリリュー島をご訪問されました。とても私達には想像に及ばないご経験をされたことと思います。
今回ご訪問にあたり、最高顧問がお感じになったこと、新年を迎えるにあたり大切にしなければならないと改めてお考えになったこと等ございましたら、是非、私たちにもご教示頂けたら幸いに存じます。

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昨年12月13日思い立って、64年前私が必死の思いで戦ったぺリリュ-島へ行ってきた。センチメンタル・ジャ-ニ-である。島に着いて見ると、嘗て、汗にまみれて弾の下を潜りながら駆けずり廻った白い滑走路は、静まり返ってそのまま横たわっていた。私は滑走路に佇み瞑目していると、当時のことが走馬灯のように甦ってきた。思えば私の一生を通じて「生かされている」ことを実感できたのがこの島である。

ぺリリュ-島は太平洋戦争中に玉砕した赤道近くの、長さ15キロ幅2キロ足らずの小さな島である。私は終戦の前年2月、サイパンから空母千歳にて部隊と共にこの島に転進してきた(退却であっても転進と称した)。3月30、31日、突然、米機動部隊による艦載機述べ456機に奇襲され、我が戦闘機隊も全機邀撃に舞い上がったが衆寡敵せず、両日の戦死246名、ゼロ戦82機を失うという壊滅的打撃を受けた。

その間私は、邀撃に上がった機が燃料を使い果たし、弾を撃ち尽くして降りてきたものに夫々補給して、再び飛ばしてやるのが職務であった。敵機は終日、基地に対し執拗に銃撃を繰り返してきた。その間隙を縫って降りた機は滑走路の向こう側で私たちの補給を待っている。滑走路を横切って行くしかないが、出て行けば撃たれるのは見えすいている。その時私は、滑走路で死ねば本望ではないかと、銃撃の合間を見定めて滑走路に跳び出した。ふと見ると部下全員が後を駆けてくるではないか。

空からグラマン数機がこちらに向かってくるのが見えたが、滑走路の真中でもう隠れようがない。ダ、ダ、ダ、銃声と同時に身を伏せるしかなかった。弾が当たるかなあ、もう少しスリムならよかったという想いが頭を過った。銃撃が一陣通り過ぎたが誰も傷ついていない。機に辿り付くや素早く補給し再度飛び上がらせたが、どの機ももう帰ってこなかった。抵抗力を全く失った島に敵は必ず上陸してくるだろう、愈々ここが最期の死に場所だと観念した。しかし敵は上陸して来ず、又もや命拾いした。

これまでラバウル、サイパンでの戦闘でも、これが最期かと思ったことが何度もあるが、この島に来て、よくも死なずにいたものだ、死んで当然の私がこうして生きているのが不思議に思えた。よく戦った、思い残すことはもう何もない、何時年貢を納めてもいい心境になっていた。今考えると、「生かされている」という私の死生観はこうして創られたのかと思う。

最近、私がこの「生かされている」という話をすると、誰もが「そんな心境に私もなりたいが、今の時代に戦争で死ぬ目に遭うなんて考えられないから、不可能だ」と言う。しかし、私達が「生きる」ということは、言いかえると、死に向かって生きて行くことではないだろうか。しかも、死はいつも予告なしにやってくるから、私が戦場で、毎日死に向かって生きていたのと少しも違わないと言える。

またある人は、「生かされているなんて、考えたこともない。これまで自分が働き家族も養い、誰の世話にもなっていない。自分の力で生きているのだ」と言い切るが、本当にそうだろうか。私達が眠っている間は意識がないのに、心臓や肺は寸時も休まず働いてくれているが、誰が動かしているのだろうか。自力で動かしてない証拠に、それが止まりそうになった時、なんともできないことである。つまり自力で生きているとは言えない。

すると、一体誰が動かしているのだろうか。医学上、自律神経や脳幹の働きによるというが、その脳幹は何が動かしているのかは未だに分かっていないという。何か人知の及ばない偉大な意志によるとしか言いようがない。したがって、私たちは自力で生きているのではなく、生かされているのである。

新年に当たって私は、一人でも多くこの事実に目覚めて貰いたいのである。もし、自分が「生かされている」存在だと気付くなら、その生涯に素晴らしい境地をもたらしてくれるのは間違いない。私たちが必ず遭遇する、失敗や災難、病気や挫折などを感謝して受け容れるようになり、逆境こそ自分を進歩成長させてくれる糧であると認識できるからである。

航海日誌