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Lifting your dreams
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Vol.113 「心」の健康

2007/11/06

現代の生活において、心の健康を保てないケースが増加しているようです。特に働き盛りの、真面目な方に多く症状が出るケースが多いそうですが、現代の誰にでも起こりうることのようです。又、一度心の健康のバランスを失い、対応が遅れると回復するのも時間がかかってしまうようです。
なまじ"頑張って"と声をかけても逆効果となることも多いそうですが、自分の周りで困っている人がいれば、どうやって助けてあげればいいでしょうか?ご教示頂けますでしょうか?

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戦後の私たちは、何もかも乏しく困窮な生活を強いられていたので、誰も我が身の健康などに構ってはいられなかった。それが昨今は、衣食住が豊かになり、平均寿命が想定外に伸びたことなどから、とくに健康に対する関心が高まってきているように思う。その関心は主に身体の健康についてであって、心の健康まで関心が及ばなかった。しかし、体の健康を考えるには、心の問題を抜きにしては成就しないことが分かってきた。たとえば、最近、大抵の病気は生活習慣によって防げると言われているが、その生活習慣をつくるのは、やはり「心」の持ち方によるのではないだろうか。

心の健康とはどういうことかと改って考えてみると、これに完全に答えるのは容易でない。筑波大学の村上教授も「心と言うのは色も形もない本当によく分からない、どこにあるのかも分かっていない。心そのものはまだ科学的には全くつかみ所がない」と述べている。だから、心がどれだけ健康であるかは計りようがないが、過度のストレスは"鬱"や"引きこもり"の症状となって現れる。イライラする、怒りっぽくなる、すぐキレルなども、心の健康への警鐘である。このような人達が増えたためか、近年、大病院に新しく精神科とか心療内科が設けられるようになったという。

心の健康、不健康は体に影響を及ぼさずにはいない。その例として、ストレスは胃潰瘍の原因になるという。「心配しただけで胃に穴があくなんて」と思われるが、心配するという意識が胃壁の細胞の抵抗力を萎えさせ、そのため強力な胃酸によって胃壁が穿孔されるという。つまり、心のあり方、意識によって、私たちは活性化されたり衰えさせられるのである。また、病弱な人に対して、意識を変えることによって体内の免疫力を高め、健康体にする治療法もあると聞いている。

 

このように心と体は互いに影響し合うとすれば、心を健やかに保つにはどのような心境になればいいのだろうか。心を健康にする原動力のようなものがあるのだろうか。それを一言でいうなら、「何事にも感謝できる」ことではないかと思う。この「何事にも」ということが大事なのである。私達は自分に好ましいコトやモノを得たときは感謝するが、病気や失敗、災難など好ましくない状況に遭遇すると、大抵の人が感謝どころか、「どうして私がこんな目に遭わなきゃならないのか」と不運を恨むに違いない。健康な心は、どんなときにも感謝できるのでなければならない。つまり、逆境にも感謝できることである。

そのような心境を持つには、今、自分が生きていることだけにも感謝できること、これしかない。すると「なぜ生きることに感謝しなきゃいけないのか」と不思議に思うだろう。生きているのは当たり前のことであって、自力で生きていると信じているから、感謝の気持ちなど起こりようがない。しかしほんとにそうだろうか。私達が眠っているとき意識がないのに、心臓や肺は少しも休まず働いてくれているが、一体誰が動かしているのだろうか。

医学上では、自律神経や脳幹の働きだというが、その脳幹は何が動かしているのかは分かっていないという。何か人知の及ばない偉大な力によっている、としか言いようがない。自力で動かしてない証拠は、それが止まりそうになった時に自力が及ばないことでも分かる。このように、私達は自分で生きているのではなくて、実は生かされている。この事実に目覚めるならば、身の回りに起こる全ての出来事は良いことも悪いことも、必要だから与えられたのだと受け取れるだろう。

苦難は私たちにとって必要なことである。苦があるからこそ楽を知ることが出来、死があるから生きていることが貴重に思える。生きていることは実は奇跡の出来事で、あり得ないことに気付くとき感謝の気持ちが自ずと湧いてくる。このような心境を持つことが、心を健やかに保つ一番の近道だと思う。

大変生意気なことを述べたが、私の青年時代に得た「生かされている」という直観が私をして言わしめているのである。あの戦場で、とっくに死んでいるはずの私が、生きているのが不思議に思えてならなかった。ふと、それは自分が生きているのではなく、何かによって生かされていることに気付き、思わずひれ伏して拝まずにいられなかった。以来、この生かされている命を何かに役立てねば申し訳ないと思うようになった。そのような心境が幸いして、心の健全さを保ち今日あるを得たのかと思う。充分意を尽くしてないが了とされたい。

航海日誌