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Vol.182 熱と誠

2017/05/08

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

今回のテーマ「熱と誠」は、私たちがよりよく生きていく上で、燃える情熱と誠が大切な要件であることを示している。強い意欲を持ち、偽りない真心で命に向き合う必要があることを「熱と誠」という言葉で表している。

その「熱と誠」はどのように創られるのかは、前回で述べた、「志」と「愛」が創られた経緯と軌を一(いつ)にしている。真実はどこまでも一つなのである。「熱」というのは、我が命を何のために費やせばよいかが生きる目的となり、その目的を帯びたインスピレーションや閃きは情熱を創る。それが、よりよく生きるためのエネルギー・「熱」になることを示している。

また、命から湧いてくるインスピレーションや閃きは、偽りない本心、真心の表れ「誠」といえる。「誠」とは、人を愛し、信じ、許す行為となって表れずにはいられない。それは言い換えると、与えることしか考えない、自分の運命を相手に委ねる命懸けの行為となる。だからこそ人は、命を賭けての行為に感動して、奇跡を生むのである。

では、「熱」と「誠」を生むインスピレーションや閃きは、どうすれば湧いてくるのだろうか。その答えに窮してしまうが、私の体験から三つの方法が考えられる。第一に、脳に空白を作る。第二に、追い詰められている.第三に、情報の蓄積である。この中で最も大事なのが、第一の脳に空白を作ることである。

インスピレーションや閃きは、神秘的な働きや偶然的に現れるものではない。フランスのポアンカレはこれについて、論理的な思考に続いて起こる無意識によって、突如、天啓かと思うような考えが湧いてくるという趣旨の説明をしている。その中に「進んで努力しても全く無効に終わったため、好結果が得られないものと諦めて、一見途方もない見当外れをしていたかのような気がする幾日か後でなければ、かの突然の霊感は降って来ない。故に思考活動の努力は、人が思うほど無駄だったのではなく、無意識状態を作るために必要だったのだ」とある。

つまり閃きは、いきなり現れてくるものではなく、そこには手順・プロセスがあるという。多くの誤解は、閃くためには考えることを脳に強制し、無理やりひねり出す必要があるというものである。実際に閃きやすい環境というのは、脳の強制よりはむしろ反対の、脳がリラックスできる状態の方が適しているとある。過去に私が閃いた瞬間が、どういう環境だったかを振り返ってみると、いつも歩き馴れた道をリラックスして歩いているときが最も多かった。

つまり外部からどんなインスピレーションが得られるかでなく、いかに自分の脳をリラックスさせられるが大事なのである。リラックスによって脳に空白が作られ、脳は空白を埋めようとして、何かを自発的に作り出そうとする、それが閃きを創るのであろう。脳に抑制が無くなり、自由に活動できる環境が生まれ、閃きやすくなるのである。

第三の情報の蓄積が、閃きになぜ必要なのか。閃きは、自発的な脳の働きであるが、何もないところから新しいアイデアが生まれるはずがない。基になる情報の記録と蓄積が豊富なほど、閃きの可能性が大となる。なぜなら、記憶は単に蓄積するだけでなく、脳内で編集され、新しい意味を持った記録に換わっており、その新しい意味を持った記録が閃きを生みだす力になっているからである。

閃きが湧いてくるには三つの方法があるが、その端緒になった体験を述べてみる。また戦争中の話なので恐縮するが、死を目前にして得た閃きの体験は、平時では考えられない人間の心理を見事に映し出してくれる。

昭和19年1月12日、ラバウルの我が戦闘機隊は、戦線縮小のためサイパンに移動(実は後退)することになり、私は250名余の隊員と2隻の貨物船に便乗が決まっていた。当時の戦況は、既に、空も海も米軍の手中に移っており、出て行く船が、満足に着いたためしがないと聞かされていた。

戦地に来た以上、死は覚悟していたが、船が沈めばどうなるのか。海水を飲み、最後は苦しんだ挙句に、窒息死するしかないことが予想された。ラバウルで,弾を受けて一思いに死ねばよかったのではないかと、しきりに悔やまれた。乗船の前夜、そのことが気になって眠るどころでない。船が沈み、海に投げ出されたとき、苦しまないで一思いに死ねる方法はないのか。悩み続けるのだが、乗船時間が迫ってくるだけで、良いアイデアが浮かんでこない。

遂に、考えに疲れ果て、もう、なるに任せるしかないと諦め、考えるのをやめてしまった。突如、天啓のように閃いたのが、水中を深く潜り続けると、ある深度に達すると失神することを思いついた。一瞬に死ねるのだ。私はその閃きですっかり心が晴れて、泥のように眠ってしまった。

この実体験で、海に投げ出されて、どうすれば一思いに死ねるかの考えを捨てたとき、脳の抑制が解かれ、脳に必要な第一の空白が作られたと言える。また、沈むのが分かっている船に乗る時刻が迫っている事情は、第二の追い詰められているといえる。さらに、水中深く潜ることによって一思いに死ねるアイデアは、第三の、必要な知識、情報の蓄積を私が持っていたからである。

生きる目的を帯びた、命から湧いてくるインスピレーションや閃きは、このようにして「熱と誠」を創り、私たちの創造的な生き方を構築してくれる。若い時に、このことに気付いた私は何という幸せ者かと、天に感謝したい。心の奥から聞こえてくる声に耳を澄まして聴いてみようではないか。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2017年2月)より』

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