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Lifting your dreams
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Vol.192 「遊」

2018/03/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

「遊」という言葉を見て、真っ先に頭に浮かぶのは、幼年期に聞いた「よく学び、よく遊べ」である。「遊」は同時に「間(ま)」、ゆとり、余裕も指す。自動車のハンドルに遊びが必要なのはよく知られている。話す言葉にも「間」が大切で、立て板に水のように喋っては、誰も聞いてくれない。昔、徳川無声は、絶妙な「間」のある話し方で一躍有名になった。私たちは文章の切れ目に適宜、句点や段落を設けて「間」をつくり、読みやすくしている。私たちが生きていく中でも「遊」は、生涯を通じて重要な意味を持つ。

幼年期の遊びが大事なのは、その中からルールを守ることを知り、相手の心を思いやり、集団の中の自分はどうあるべきかを学ぶからである。また、種々の遊びを通して、創意工夫が生まれる。うまくできたときの喜びは、創造心を育むとともに、スポーツ、技芸など、隠れた才能の発見につながる。

大人の場合、学びや遊びよりも仕事が優先される。仕事と遊びの関係をよく示しているのが、マーク・トウェインの「トム・ソーヤの冒険」の中にある。― 「夏の土曜日のある朝、トムはポリーおばさんから塀のペンキ塗りを命じられた。トムはいやいやペンキ塗りを始めたが、その塀はとても長く、今日中に終わりそうにない。そこでトムは一計を案じ,いかにも楽しそうにペンキ塗りをすることにした。その姿を見て、通りかかった友達が次々に『僕にもやらせてよ』と頼む。トムはしめたと思い、最初、わざと断る。やりたくて仕方がない彼らは『そんなこといわないで』と、リンゴやおもちゃなど自分の宝物まで差し出して頼み込む。トムはしぶしぶ折れるフリをして彼らにペンキ塗りをやらせてあげる。おかげでトムは、嫌なペンキ塗りから開放された。」

この話は、仕事とは何か、「遊び」とは何かを考える上で実に示唆に富んでいる。トムにとって塀のペンキ塗りは、やりたくない仕事だった。しかし、トムの芝居にまんまと引っかかった友達にとっては、宝物と引き換えてでもやりたい楽しい「遊び」だった。ペンキ塗りという行為そのものは一緒でも、嫌だと思えば苦痛でしかないが、楽しいと思えば、このうえない「遊び」になる。仕事も「遊び」に化ける。

釣りの例をあげると、漁師にとっては嫌でもやらなければならない仕事だが、それを趣味にしている人には、やりたい「遊び」である。将棋はプロ棋士にとっては仕事だが、趣味で指す人にとっては楽しいゲームである。テニス、絵画、ピアノ、陶芸などもそうである。仕事が大好きで、楽しくて仕方がない人、自腹で仕事の勉強を喜んでする人は、幸せを掴んでいるといえる。ロシアの文豪マクシム・ゴーリキーは、「仕事が義務なら人生は地獄だ。仕事が楽しみなら人生は極楽だ」といっている。

ではなぜ、仕事が嫌になったり、楽しくなったりするのだろうか。登山家とシェルパの例では、彼らは共に高い山に危険を冒して登るが、登山家は山が高く危険が多いほど、頂上を極めたときの喜びが大きく、次にはさらに高く危険な山にチャレンジしていくだろう。一方、シェルパは登る行為は同じでも、彼の目的が仕事の報酬にあるとすれば、山の低さと荷物の軽さを望むだろう。

なぜ、仕事の目的を報酬とすると、苦痛と感じてしまうのだろうか。神聖であるべき生命の働きを、金銭に交換することで、その尊厳が冒されるからだといえよう。命の最大の喜びは、与えられた命を最大限に生かすことである。世のため人のために役立つことによって命は生かされ、その役立つ大きさに相応して、社会から処遇され、役割と報酬が与えられるのである。故に、仕事の目的が報酬ではなく、社会貢献のときにのみ命は最大限に生かされ、喜びも大きく、仕事は遊びに化けるのである。

楽しいと思うことをして、心を慰めるのを遊びというが、楽しみには、心(五感)と魂の二つがある。心(五感)には、味覚、聴覚、視覚、嗅覚、触覚の楽しみがある。魂には、社会貢献の使命感を持ち、社会に必要な存在を自覚し、人を愛し愛されること、己を生かし物事を成し遂げることなどがあり、これらには宇宙の意思を呈した生命が働く喜びと楽しみがある。

このような遊び(楽しみ)を通して、私たちの品格がつくられる。さらに、心(五感)の楽しみを追い求めるか、魂の喜びを主とするかによって人生も大きく違ってくる。大自然(宇宙)の意思に生かされている存在に感謝し、その働きから生じる「遊」を大切に過ごしたい。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2017年12月)より』

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