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Vol.193 「活機応変」

2018/04/02

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

活機応変とは、「臨機応変」を転じた造語で、変化の機を生かし、その変化に応じていくという意味である。すなわち、チャンスを生かして、機力旺盛な生き生きとした動きによって変化に対処することをいう。

「活機応変」には「信念と実行」が求められる。すなわち、高邁な目的を信念とし、それを実行してやまない行動力であり、それを支えるのが心身の「健康」である。言葉でいうのは簡単だが、心(精神)と身体の健康を保持するのは並大抵ではない。おそらく、何事にも勝る大事業といえるのではないだろうか。

ここまで述べて、3、4か月前の高松木鶏クラブの会で「健康の秘訣は何ですか」と質問され、咄嗟に答えられなかったことを思い出した。それが気にかかっていたところへ、先月の会でまた同様の質問を受けた。それは、私が97歳という超高齢なのに、杖歩行を厭わず会に出席し、毎月エッセイを披露しているのを見て、どうしてそんなに元気なのかを知りたかったからだろう。

なぜ、咄嗟にその質問に答えられなかったのか。それは、私が長期に亘って実行してきたのは健康が目的ではなく、必要に迫られたことが結果的に健康と長寿をもたらしたからである。どうしてそんなにうまくいったのかと言えば、「苦しみを味わうことが自らの成長を促す」のを知っていたからだ。その詳細を述べてみる。戦後、私は親子3人で小さな企業を起こしたが、復興景気を始め朝鮮事変などが幸いして、昭和38年資本金50万円の株式会社となり、私は社長を拝命した。

当時の私は、海軍で鍛えられ、戦場で死の体験を経た、心身ともに筋金入りの若者だったが、知識も技術もなく、世間的には一年生であった。そこで、今からでも遅くない、上場企業のトップとして相応しい人間に自分を仕立ててみようと考えた。そのためには何をやるべきかを列挙してみて、最初に挑んだのが禁煙だった。禁煙もできないようでは、私は社長の器ではないと思ったからだ。

ところが、少しの苦痛も無しに呆気なく禁煙できた(おかげで社長を辞めずに済んだ)。ところが禁煙したため食事が美味しくなり、みるみる肥満体に変じた。食事を減らすわけにはいかず、運動するしかない。とすれば、どこで、何時、何をするか考えた。結果、次の目標として選んだのは、アラームなしの5時起床と2キロのジョギングだった。毎朝の起床が、他からの助けを必要とするようでは、何をやっても駄目だと思ったからだ。

人間というのは不思議な生き物で、他から強いられると嫌だが、自発的に決めたことは、抵抗無くやれるようだ。以来、今日までアラームなしの5時起床が続いている。朝のジョギングの快感は、各地のマラソン大会参加となり、ハーフマラソンを71歳まで完走した。早朝起床とジョギングが続くことに自信を深めた後、浴室のシャワーでの冷水浴に挑戦した。しかし冬季は冷たく、それまでの自信が覆されそうになった。「つらいから中止だ」と「いや、絶対に止めるべきでない」という、心の葛藤に連日悩まされた。

そこで、シャワーによるストレスを忌避するのでなく、むしろ、さらに強いストレスに立ち向かう方法(庭のプールで泳ぐこと)をとった。その方が潔くて、私の気性に合っている上、もしこれが実行できなければ私の成長はストップだと考えた。真冬のプールの水は、肌を刺すように冷たかったが、それよりも、やり終えた後の自分が誇らしく、93歳まで続いた。雪の降る朝など勇猛心が沸いてきて、この機を生かさずにおくものかと、わくわくしながらやり遂げた。

プールの快感に味を占めた私は、続いて、元日に海で泳ぐことに決めた。庵治の海岸で瀬戸内海を独り占めしたような壮大な気宇は、経験した者にしか分からないだろう。元日に海で泳ぐのは49年間、さらに正月三日、大的場での恒例の初泳ぎにも31年間参加し、いずれも93歳まで続いた。また60歳のときに「献血が心の豊かさと身体の健康を証明してくれる」と社内に宣言し、率先して行った。それは年齢を偽って74歳まで(献血可能な年齢の上限は69歳)続いた。多くの社員の参加をもたらし、予期せぬ総理大臣表彰になったのは大きな喜びであった。

誰もが苦痛に思えることを何十年も続けられたのは、苦痛を快感に変えることができたからだ。しかし、どうして苦しみが喜びに変わるのだろうか。先に述べた、高邁な目的が信念になっていることが、苦しみを乗り越え喜びに変えていくことを可能にしたのではないか。私の場合、上場企業のトップとして、恥ずかしくない自分に仕立てようと発心したことが、それである。

「活機応変」を支えるのが「心身の健康」であると述べた。私が高邁な目的を信念とし、自分をより高めようとした結果、現在の健康や長寿をもたらしたのである。しかし、「活機応変」は、各人の性格や育ち方、生活環境や人生観によって、百人百様といえる。健康と長寿の秘訣についても最大公約数にはなるが、人それぞれ異なるから、質問に答えられなかった。私の人生は、実行してやまない行動力で心身の健康を築き、「活機応変」に歩んできたといえるのではないか。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2018年2月)より』

航海日誌