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Vol.2 生きる意味

1997/02/01

私たちは誰一人として、自分の意志で生まれたものはいない。気がついた時には、既に生まれて何年か生きていたのだ。だから、何の為に生まれてきたのかを知らないのは当然である。

しかし、私たちは何の為にこの世に生まれ、何の為に生きていくのかがハッキリしていないことに、何とも言えない空しさ頼りなさを覚える筈である。丁度、行く先を知らされていない船に乗った感じだろうか。即ち人間は、生きる張り合いや、生き甲斐のない人生を生きることに耐えられないように創られているからである。

もし、それが少しも気にならない人がいたならば、その人は生きているのではなくて生存しているに過ぎない、人間の皮を被った動物に近いと言えよう。人間が動物と違う所は、自分に死があることを知っていることである。限られた生命であることを知っているからこそ、生きることが素晴らしく貴重に思えてくるのである。そこから、この自らの人生を充実した悔いのないものにしなければならないという思いが沸き上がってくる筈である。

また、人間は誰でも、向上心と無限の可能性をもって生まれている。即ち、誰でも大悪人にも大聖人にもなれる自由を与えられていることである。そうした自由があるからこそ、「人間は如何に生きるべきか」を求めずにはいられないのだ。

そこで、この私たちの持っている資質天分を活かし、伸ばすことこそ生きるに相応しい目的となるのではないか。資質天分を活かすとは、他に役立つことによってはじめて認められ活かされるのである。また、他から必要とされる人、なくてはならぬ存在となること程、大きな生き甲斐はないのである。生き甲斐のある人生を生きることが、ひいては悔いのない人生となり、何時死んでもよい、また、何時まで生きていてもよい人生となるのではないか。

航海日誌