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Vol.55 「自分に課していること」 ~短冊に何を願おう。

2001/07/02

今月の質問者:鯵坂 剛毅さん(生産技術部)~最近家庭菜園にはまっています。野菜とハーブを猫の額ほどの庭でせっせとお世話中です。みなさんもいかがですか?
P.Sハーブは虫もつかなくてエレガントなお庭に仕上がるかも!?

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私は学生時代にサークル活動で弓道部に所属しており、学業以上に情熱を燃やしておりました。精神面が左右する競技であるために、精神面を重視した練習を良くやったと記憶しております。そして1日に最低100本弓を射ることを心がけておりました。それは、現役の選手として活動している間は毎日続けておりました。そして学年が上がるごとに弓道場に居る時間も増え、3年生になる頃は1日平均8時間も弓道場におりました。当然サークル内での責任も重くなり、その重責を担うため自然と練習量も僅かづつですが増えていきました。

そんなある時期から極端に的中率が落ちてしまいました。いろいろ原因考えましたが変わったことといえば練習時間が長くなったということだけでした。たくさん練習して何が悪いんだと自分を正当化しておりました。そのまま現役選手を終え、少しばかり無念な思いが残りました。

そこでOBとなった明くる年にもう一度だけ試合に出てみたいと思い、学業が忙しくなった時期にもかかわらず、合間を縫って練習を再開しました。その結果良い成績を出すことができました。不思議な気がしました。練習量は少ないのに良い結果がだせるとは。

そこでようやく私の中で1つの答えがでました。だらだらした生活をしていては弓道の腕前は落ちる一方、常に気を張って生活していくべきではないか、何でも良いから自分に何かを課すことが大事ではないかと考えました。そのとき「弓道即人生」という言葉が思い出されました。著名な弓道家の方々は必ず口にされる言葉です。最初は毎日弓道だけしている人生かなと思っておりましたが、この経験から、弓道は生活態度の良し悪しが直ぐに影響するものなのだと感じました。

今弓道は頭の中でやる程度、行動が伴っておりません。今後は再開して継続したいと思っております。ただ、今では競技を楽しむのではなく、自分の生活を見つめなおす1つの目安としてやりたいと考えます。

そこで名誉相談役にお尋ねします。名誉相談役は日常生活の中で何かを自分に課していらっしゃいますか?もしあればそれはなぜですか?


晴れが続くと雨が欲しくなるが、雨が続くと天気が待ち遠しい。人間て勝手なもんだ。(多田野 弘)

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大変良い質問をいただいた。それに対する私の答えの一部は、これまでの航海日誌に随時述べてあるので参照願うとして、あなたが弓道の修験者であることから、少し突っ込んだ内容で回答させてもらう。

私の今の境遇は、何をしても良い、何をしなくても良い自由な立場にある。あなたの問いに答えるとすれば、結論からいえば、私の日常生活に具体的に自分に課しているものは何もない。しかし、毎日フル回転している。

なぜそのような矛盾したことがいえるかといえば、自分に課したことがすべて日常生活の中に組み込まれてしまって、もう課しているとは言えないからである。フル回転の中身は、アラームなしの早朝起床に始まり、ジョギング、冷水浴、ストレッチ等があるが、これらは自分に課しているということでなく、それをしないと体調が狂い、頭痛がするので、そうせずには居れないのである。何かを課すというのは、自分に対する強制だが、そうせずにおれないというのは自発的であり、命から湧き出してくるもので、課したとは言えないのである。

具体的に自分に課してはないが、1日1日、自分の持てる能力を最大限に活かす為に、心身を使うことを抽象的に課していると言えようか。活かすとは、他に役立つことによって活かされるのは言うまでもない。振り返ってみると、40年前、一念発起して禁煙を自分に課したのが始まりで、禁煙が予想外にうまくできたのに気を良くして、少しずつ課目を増やしていったというのが実情である。これらについては、航海日誌Vol.22「健康の秘訣」に書いてあるので、興味のある方は読んでほしい。

なぜ40年もの長い間続いたかを一言でいえば、自己実現の喜びがそうさせたとしか言いようがない。「やればできるぞ」という自分に対する自信と、「やったぞお」という達成感は、自分を誇らしく思うと同時に、誉めてやりたいような気持になる。だから、自分に課した条件が厳しければ厳しいほど、それをやり遂げた喜びは大きく、そこからさらに、新しい勇気が湧いてくるのである。

このような自己実現、隠れた能力の発見は、何物にも変えられない喜びであり、その喜びを再び味わいたい為にさらに厳しい課題を課したくなるのである。私はこのような体験から、自己啓発の方程式を作ってみた。
継続
目的――方針・目標――計画―――実行―――――習慣――人格――運命――人生

あなたの問いは、日常生活の中に何を課しているのか、実行を求めているのは何か、それを自分に課した理由、目的は何かである。人間の行動には必ず動機、理由、目的がある。その目的に向かって行動するには、方針を定め、具体的目標を決め、その目標達成の為に、実施計画を策定し、その計画に従って行動が始まる。その行動は継続することによって習慣が作られ、習慣は期せずしてその人の人格を形成し、人格は運命を創出し、運命は人生を決定付けることになる。

この過程で一番大きなネックになるのが「継続」である。ここで大抵の人が棒を折ってしまい、三日坊主に終わることが多いのも事実である。この継続する意志力は普通、理性によって作られると考えられているが、理性によって作為的に作られた意志は、ちょっとした困難に出会うとすぐ怯んでしまうが、「どんな困難も乗り越えていくぞ」という不屈不撓の意志力は、実は理屈抜きで命から涌き出てくるものでなければならない。

命から湧き出してくるには、統一された価値ある目的を持つことである。つまり、自分の一生は何の為に費やすべきかに気付くことである。自分の一生を賭けるからこそ、理屈抜きの命がけの意志力が生まれてくるのである。拙い表現力の為、言い尽くせなかったことを許し乞う。

航海日誌