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Lifting your dreams
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Vol.232 「汝の足下を掘れ、そこに泉湧く」

2021/08/02

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

表題は、物事の本質・真理は外にではなく、自己自身の内に求めよという意味である。それには「気付く」ことが大事で、気付きによって考えが深まり、行動が変わり、その人の生き方が変わる。つまり、人間は気付くことによってのみ自分を変えることができる。

私たちは誰もが、自分を良くし生かしたいと思う。しかし、自分の足下を見ずに、「時間がない」「合理的でない」「周りが悪い」などといった言い訳をして中途半端で投げ出してしまう。責任を転化してその場をしのぎ、自分を合理化してしまいがちである。

先哲は「最も知っていなければならないのに、最も分かっていないのが自分のことである」と述べている。私たちは、自分という人間がどういうものかが分かっていないのではないか。本当の自分は、「気付く」ことによってしか知ることができない。人は、心と身体(肉体)と魂で構成されているが、心は生まれてから言葉を覚え、言葉を組み合わせて考えるようになり、自分が作ったものである。心は魂の道具として、また日常生活を営むための、知識、記憶、指向、感覚、感情の機能を備えている。しかし合理的にしか考えられない欠点があり、コロコロ変わるからあてにはできない。

身体は最初、私たちの父母によって準備され、大自然の摂理により生命を与えられて、この世に人間として生まれたのである。身体は心と魂の容器であって、真の自己ではない。死滅すると元素「土」に戻る。生命には、宇宙の意志を帯びた魂が含まれている。だから絶大な力が備わっているのだが、色も形もないためその存在を証明できない。しかし、「魂は肉体に宿り、心と身体を支配し統御する」といわれ、魂こそが真の自己だといえる。

私にも生涯を変えさせた「気付き」が何度かあった。それは、一途に取り組みどうにもならないと諦めた瞬間、脳が解放され「無心」になっている時に多かった。脳が解放される状態とは、何か大きな緊張が解かれた瞬間、例えば生命の危険が去り枕を高くして眠る時、疲れ切った後の気持ちがほぐれた時などである。「無心」の状態とは、我を忘れて何かに没頭している時、単調な動きを繰り返している時、通り慣れた散歩道を当てもなく歩く時などである。

リラックスや「無心」の時が「気付き」に結び付くのは、その環境が脳の抑制を解き、脳内に空白がつくられるからである。脳が空白にならない限り「気付き」は生まれない。フランスのジュール=アンリ・ポアンカレは気付きとは、「突如、天啓が降ったかのように考えが開けてくるものである。いくら努力しても好結果は得られないと諦めて、一見途方もない見当はずれをしていたかのような気がする幾日かが続いた後でなければ、突然の霊感は決して下ってこない」と述べている。

「気付き」は自分を知ろう、与えられた命を生かそうと一途に打ち込むことから生まれ、人生をつくり変える。さらに、その新しい考えや素晴らしいアイデアは創造の核となる。私たちの生き方を変え、幸せにするとともに、社会貢献の存在にするのではないだろうか。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2021年6月)より』

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