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Vol.240 「百万の典経日下の燈」

2022/04/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

今回のテーマは禅の大家今北洪川の言葉である。百万の聖人賢人の書を読んでも実行しなければ、太陽の下でローソクを灯すようなもの、何の役にも立たない、の意である。私たちが書を学ぶのは、人間が生きていくのに必要な原理原則をとことん追求していくためである。といっても、原理原則がそのまますぐに役立つとは限らない。学ぶことは、自分自身を納得させるためには大事だが、千変万化する現実に対応していくには、現場での実践を通した応用力を付けていくことが欠かせない。つまり、学問的研究と実践的活動は、人生になくてはならない車の両輪といえる。

イマヌエル・カントは「実践なき思索は空虚であり、思索なき実践は盲目である」と述べ、人間が本当に人生に自信を持って生きていくには、実践的な確信と思索によって得られた論理的確信がどうしても必要だと言っている。私たちが堂々と人生を生きていくには自信が必要であり、誰もが自信を持ちたいと願っている。カントは、納得がいく実践の成果と論理的な根拠が示されたときにのみ身に付くという。つまり、学問的な根拠を支えにした実践があると、いくら人からつつかれてもびくともしない自信を持つことができる。私が100年余りの人生で、どのようにして自信をつくってきたかを振り返ってみたい。

昭和14年、志願して入った海軍の1年間は、基礎教育としての理論と実践が鉄拳を交えて叩き込まれた。その一つは、艦内活動の基本としてのシーマンシップである。「スマートで、目先が利いて几帳面、負けじ魂これぞ船乗り」と、よく聞かされた。スマートとは、最近若者がいう「カッコイイ」という意味ではなく、動作が機敏でやることに無駄がなく、他に迷惑をかけないことをいう。言い換えれば、やることなすことが洗練されてスッキリしていることである。

目先が利いてとは、先見の明があることをいい、視野が広くて先手先手と仕事をやっていくことをいう。几帳面とは「だらしない」ことの反対で、確実できちんとしていることである。負けじ魂とは、いうまでもなく敢闘精神で、やり遂げるまでは絶対に止めないことをいう。これらの体験を通した1年間で、私は不撓不屈の心身がつくられた。海軍はありがたいところだ。1年間無料で、住み込みで鍛えてくれた。

続いて教わったのが、リーダーシップの理論と実践であった。山本五十六元帥の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という格言が有名だ。「リーダーシップの要諦は、指導者たるべきものが一生を通じて収縮体得するもので、他からの学問や技術でその奥義を身に付けることはできない。一度開戦となれば、部下を死地に赴かせることもある。その時、部下が欣然と死地に突入するような関係をつくり出すことである。そのためには指揮官は、かねてから部下の信頼と尊敬を受けるよう精神修養に努めなければならない」と教えられた。平和な戦後にもリーダーシップは必要だった。

昭和23年8月、焼け跡に24坪の工場、資本金50万円、従業員4名の株式会社を立ち上げた。幸いにも、戦後に始まった復興景気と2年後の朝鮮事変の仕事が増え、少しずつ規模を大きくしていった。そして父から、30歳に満たぬ私に経営が任されていた。だが、私には海軍で教わったリーダーシップ以外、経営の知識は皆無だった。しかし、その後に急な発展をしたのは、昭和30年9月、総力を投じて油圧式トラッククレーンを試作してみたことに始まる。まずやってみるという、即断と実践であった。

試作機は各地の展示で思わぬ高い評価を受け、瞬く間に注文が殺到してきた。急遽、人員、設備を増やして対応したが思うように生産が進まず、混乱さえ見えてきた。その解決策に眠れぬ夜が続いたが、神は私を見捨てなかった。たまたま書店でドラッカーの書『現代の経営』を発見し、貪るように読んだ。一字一句が心に染み渡り、目から鱗の落ちる思いがした。企業の目的は社会に貢献することにあり、人間信頼を基本とせよとあった。私は、この崇高な理念で経営するなら、潰れても悔いないと心に決めた。

ドラッカーの経営理念を拝戴して、次々と新しい改革案が浮かんできた。私は意を決し、まず全員月給制、タイムレコーダーと出勤簿の廃止を皆(社員約250名)の前で宣言した。するとたちまちその効果が現れ、不思議にも恒常的に続いた遅刻がピタッと止まり、生産は見る見るうちに軌道に復したのである。人間は信頼すれば、必ず応えてくれるのを知った。この制度は、松下電器(現在のパナソニック株式会社)に次ぐ快挙なのを知って自信を深め、続いて週休2日制を四国で真っ先に導入した。

現在、資本金130億円、社員1400名、製品の半分以上を輸出する世界企業にまでなっている。経営に必要な哲学理論に、人間信頼による社員の協力と実践が加わっての結実である。まさに百万の典経日下の燈といえる。もう一つ私事で申し加えたいのは、かつて青年期に戦場の3年間、死を目前にして過ごしたことから即断・実践の習慣がつくられ、それが私の精神の若さと長寿をもたらしてくれたことである。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2022年2月)より』

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