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Vol.241 「渋沢栄一に学ぶ人間学」

2022/05/06

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

渋沢栄一は、明治の初期に日本を近代国家につくり上げた偉人であり、76歳に刊行した『論語と算盤』に記されている企業理念の礎となる思想を、日本の産業界に導入した。論語と算盤という異質のものを合一した意味が分かれば、彼の人間学を解明できるのではないだろうか。

彼は、慶応3年(1867)27歳の時、第2回パリ万国博覧会に出席する徳川昭武に随行し渡仏した。滞在中の2年間にわたりヨーロッパ諸国を歴訪して、西欧の新しい技術や産業の仕組みを詳らかに吸収・会得してきた。彼は、日本の文明が西欧に著しく遅れていることを痛感し、帰国後、日本を逸速く欧米に比肩する国にせねばならぬと考えた。それは当時、国中で叫ばれていた富国強兵の国策にも沿っていた。日本で初めて銀行をつくり、全国各地に配置し、商工業の会社を生涯に総数約500社つくり上げた。同時に、「語と算盤」の思想をそれらの会社に導入を図った。

彼はヨーロッパ諸国を歴訪したことで、巨視的に物事を見るようになったと思われる。その一端として、人間も会社も社会的責任のある存在だと述べている。しかも、その責任を果たすには「論語と算盤」という東洋と西洋の思想が必要であるとした。論語は、人として守るべき道、東洋の精神性「倫理・道徳」を現しており、算盤は、「入るを量り、出づるを制す」という西欧の経済合理性を示している。この東洋の精神性と西欧の合理性を併せ持つことによって、人も企業も社会的責任を果たすことができると考えた。

社会的責任を果たすとは、「どれだけ世に役立っているか」という社会的存在価値あらしめることである。またその存在価値によって、人は社会から相応に処遇され、企業はその存続と発展を望まれるという仕組みになっている。経営学の泰斗、ピーター・ファーディナンド・ドラッカーも渋沢から多大の影響を受けたと言われており「人も企業も目的は社会貢献にある」と述べている。経営の神様と言われた松下幸之助は「利益の生まれない企業は世の中の寄生虫で、潰れて当然だ、社会に貢献していない証拠だ」といった。ドラッカーも松下も渋沢と同様に、人も企業も社会的責任ある存在であることを基礎にしている。

彼は、「論語と算盤」という思想を産業界に実現させるのみでなく、公共事業・教育・医療・福祉など公益を追求した。その中に、渋沢の類稀なる高潔な人間観があふれ、人生・社会を豊かにする考え方や生き方の原理を見ることができる。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2022年3月)より』

 

 

「戦争はなぜ起きるのか」

 

先日、この質問にすぐ応えられなくて、後日を約したので弁明する。戦争という大問題は、誰もが考えも及ばぬことのように思える。だが、人間同士の争いは、大は国家間の争いから、小は隣近所や夫婦間の争いまで含まれると捉えれば、争いに共通した問題として私たちも真剣に考える必要がある。なぜ争いは起きるのか。

これらの争いの源は、人々が人間の本質は理性であり、理性は完全であると考える「人間の心の在り方」からきている。その結果、自分が正しいと思うことをどこまでも主張するようになって対立を深め、争いになっている。つまり、理性が争いの種をつくっているといえる。過去のいずれの戦争の発端も、正義の争いから起こっており、しかも、両者の正義を力に訴えて解決しようとしたことにあった。

また近代は、自由と平等という理念が浸透した結果、「権利と義務」という社会通念が常識になっている。これは合理的な概念であるが、権利は対立を生み、義務は強制を強いるようになる。大事なのは、いかに正しい理念であろうと、主張のし過ぎが争いの火種になっていることを知らねばならない。

それでは、平和を実現していくために何が一番大事なのだろうか。1946年パリに設立された、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の憲章前文に、「戦争は人間の心の中から始まるのである。だから人間の心の中に平和の砦を築かねばならない」と宣言されている。

自分の心の中に平和の砦を築くにはどうすればよいか。その一番目は、理性の限界を知ることである。自分がどんなに正しいと思っても、それは決して完全ではない。自分と違った考えに出会ったならば、否定や排除ではなく、何かを学びとることでさらに良い考えが創られ、自分も成長していける。そういう理性の使い方をすることで、私たちは対立を呼び起こさない人間になれる。

二番目は、勝つことよりももっと大事なものがある。それは力を合わせることである。そういうことに人間として喜びと価値を感じる感性を持つことである。勝つことに最高の喜びを見出しているのでは、平和は絶対にあり得ない。つまり戦争はなくならない。

三番目は、対立に対する解釈である。今日まで人間は、対立という状況が出てくると、まずは相手を説得して自分と同じ考え方にしようとする。それができなければ、今度は妥協点を探る。妥協もできないと、相手が強いと媚びへつらうか、逃げる。最後には争いになる。これでは平和は築けない。

これまでの社会は、競争し弱肉強食の原理が進歩発展させるものだと考えられてきた。しかし今日、競争に勝つためではなく、互いに支え、助け合うような「共生」が重要になってきた。社会の進歩発展には、適者生存の原理以外にはあり得ない。それは、環境の変化に自分をどう適応させていくか、すなわち自己革新、自己創造を成し遂げた者のみが生存し得るということをいう。会社についても同様で、勝っているように見えても、それは競争したのではなく、自己自身の創造、変革を徹底的に進めた結果なのである。

もし、競争は勝つのが大事だとすれば、すべての相手は邪魔だとみなされ、勝つことに心を奪われて実力を発揮できなくしている。そうではなくて、競争は勝つためではなく、自分の潜在能力を引き出すために必要なのである。さらに、自分の至らない点に気付く絶好の場であると考えるなら、相手はなくてはならない協力者となる。ゆえに、勝敗に拘わらず進歩することができて、一回り大きい度量の人間になれる。

大事なのは勝つことではなく、共に能力を高め合う共生であり、共に生きていくことに力を発揮できる人間が望まれている。本当の独創性を求めていくならば、弱肉強食の理性は邪魔であって、自分の本質である感性を原理にしなければならない。そのために手段として使うのが理性である。こんなふうに、心の中に平和の砦を築き、適者生存の原理を大切にすることができれば、初めて私たちは平和な家庭、平和な組織、平和な世界を実現していけるではないか。

航海日誌