
師資相承とは、師から弟子へと道を次代に伝えていくこと、と広辞林にある。分野を問わず、あらゆる学問・道・文化・伝統は、子弟の相承によって伝えられてきた。人類の歴史は子弟相承の歴史といっても過言ではない。そうだとすれば、私の生涯の中で師と仰いだ次の3哲人から、大きな影響を受けたことを述べねばならない。ソクラテス、レフ・トルストイ、P・F・ドラッカーである。
第一はソクラテスである。なぜ、彼を師に選んだのか。平たくいえば、死に対する考え方が私と同じく潔いからだ。彼は西暦紀元前450年頃、「魂を養い、徳を高めよ」と、アテネ市中を説いて回っていた。若者たちは彼の言動に共鳴して各所にその集いが生まれ、見る見るうちに国中に広がっていった。それを妬む宗教関係者らに、若者を惑わす悪人だと告訴され、裁判で死刑の判決を受けた。
彼を慕う弟子達はもとより、国中の若者の多くが彼の脱出を望んだ。獄舎の役人や幹部にも手をまわし、国外へ航海の船も確保できた旨を彼に告げた。しかし彼は、弟子たちの行為を謝したが、法律に従うことが道であると、脱出の案を退けた後、毒を仰いで獄死した。このわが身の安全を捨てた、潔い行動が私と共通している。
ソクラテスの死に様は、かつて私が3年余の戦場で、国を想う悠久の大義に、命を捧げようとしたことと少しも違わない。そのような崇高な意義を持つ死は、自分を最大限に活かす、生死一如の心境になっていた。以来、私の心は一点の曇りなく澄みわたり、不思議にも弾雨の中を平気で動き回れるようになった。おそらく彼も、私と同様に何の蟠りもない平静な気持ちで、毒を仰いだに違いない。
彼を師と仰ぐもう一つの点は、アテネ市中を「魂を養い、徳を高めよ」と説いていた頃、日本は縄文時代であった。誰もが竪穴住居に住み、食べることに日々のほとんどを費やしていた。「魂とか、徳」に言及している哲人は一人もいなかった。ギリシャの精神文化が世界の国々より先んじていたことである。
第二の師にトルストイを挙げたのは、彼の書『人生の道』が私に貴重な示唆を与えてくれたからだ。日米戦争が敗色に転じた昭和19年1月、私はニューギニアのラバウル基地にいた。彼我の生産力の差が戦力の差に表れ、日増しに大きくなっていった。死が遠いことではないのを、一兵卒の私にも感じられた。
連日の戦闘で疲れて眠っていた深夜、「びくびくせずに、潔く死ね」という声が心の奥から聞こえてきた。かねてから、一命を捨てることが、同時に自分を最大限に活かす道だと思っていたので、躊躇なく死を受け容れることができた。しかしこれは心で決めたのではなく、魂の仕業に違いないと直観した。以来、私には魂があるのではなく、私自身が魂の存在であると信じるようになった。同時にそれは私の価値観を一変させ、戦後の生涯を素晴らしいものに導いてくれたのである。
この生死一如の心境を、さらに確実なものにしてくれたのがトルストイである。彼の書『人生の道』に、「魂とは、肉体に宿り、心と身体を統御・支配する」とあった。大いに意を強くした私は、魂の従者として生きようと決心することができた。価値観の変化は運命についての考えも変えた。
運命は、その受け取り方処し方によってどのようにでも変えられるもの、自分がつくっていくものだと信じるようになった。私の生涯に与えられた運命は数奇を極めたが、その都度プラスにつくり変えていった。身の回りに起きるすべての出来事には意味がある。自分に必要だから与えられたのだと受け取るようになり、いかなる非条理な運命もプラスに変えていった。ソクラテス、レフ・トルストイの両先哲を、師と仰ぐことになった所以である。
第三は、P・F・ドラッカーの経営哲学である。その本質は、「企業経営の目的は、社会に貢献する」にある。それが企業の存在理由となり、繁栄が約束されるのである。もし利益の追求を目的とするならば、その企業に関わる顧客、従業員、取引先のすべては、利益追求の手段にされてしまう。そのような企業に繁栄はあり得ない。つまり、利益は企業の社会的貢献度に比例して与えられる、経営の結果なのである。
私は彼の説くこの経営哲学に、目から鱗の落ちる思いがした。恥ずかしながら、それまで経営の目的など考えたこともなかった。しかしこの考えで経営するなら、もし企業を潰すことになっても悔いはないとさえ思った。大いなる自信を得た私は、次々と社内の改革に取り組んだ。
改革の第一は、出勤簿・タイムレコーダの廃止である。廃止後驚くことに、それまで続いていた2%程の遅刻が皆無となったのである。人間は管理したり、また管理されたりしてはならない存在であることを知った。続いて、工場従業員の日給制を月給制にした。大阪の松下電器〔現、パナソニック〕に次いでいた。続いて全員に、いままで週6日間作業しているが、それを5日間に締められるなら、週休2日は夢ではないと説明した。全員が真剣に作業の無駄発見に取り組んだ後、「やれそうだ」という合図で一斉にスタートした。5日後に見事に完成していた。
週休2日制は、全員の主体的・創造的な活動で無理なく導入できた。四国ではトップだった。また社員のこの働きは、業績の進展に現れた。現に製品の6割強を輸出で占め、トップが米国という世界的企業になっている。
3哲人を師と仰ぎ学んだことによって、期せずして思いもよらぬ業積と人生がつくられた。宇宙の意志・神・天に満腔の感謝を捧げたい。
『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2024年7月)より』