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Vol.284 「出逢いが運命を変える」

2025/12/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

今回のテーマは出逢いがいかに大切であるかをいっている。出逢いとは人や本などを思い浮かべるが、私は自分に起こることのすべてが出逢いと考える。今月105歳を迎えた私の人生を変えた「魂」との出逢いについて述べてみたい。

それは、戦時中のラバウルでのできごとである。連日100機に余る戦爆連合の空襲があり、我が戦闘機隊は要撃撃退していた。私はその壮絶な戦いに参加していることに誇りと、同時に不謹慎ながらスリルさえ感じていた。

しかし、日米の武力の違いは明確だった。私たち整備兵にも死傷者が出るようになり、毎夜「今日は無事だったが、明日はひょっとすると俺の番かもしれないぞ」と自分に言い聞かせて眠った。

そんな日々のある深夜、心の奥から「びくびくせずに、潔く死ね」と言う声が聞こえた。「そうだ、自分の死は、国と家族を守る崇高な行為であり、男子の本懐である。どうせ死ぬなら前から撃たれて死のう」と決心できた。それ以来、弾雨の中を恐れずに潜り抜けていく自分を発見した。

心底からの劇的な変わりようをもたらしたのは、「魂」との出逢いの瞬間からであった。その偉大な力である宇宙の生成発展の意志によって、この世に生を受けていることを直感した。魂の力を知った私が、戦後の生活を魂主導の生き方にしたのは自然の成り行きだった。

また、さらに私を導いてくれた3哲人の著との出逢いであった。ソクラテスについての著「ソクラテスの弁明」、トルストイの著「人生の道」、フランクルの著「夜と霧」である。

ソクラテスは著書を残してないが、高弟プラトンの著「ソクラテスの弁明」によれば、紀元前450年の頃、彼は「魂を養い、徳を高めよ」と唱えて、アテネ市民に説いて回った。多くの青年たちが彼の説に共鳴し、彼を囲む小集団が国中に広がっていった。その成り行きを妬んだ宗教家・学者等に「青年を惑わす者だ」と告訴され、彼は裁判にかけられ死刑を宣告された。

国中の青年が、彼の国外脱走のために奔走した。その勧めを彼は断り、獄で出された毒盃を飲んで獄死した。かつての戦場で、潔い死を望んで日々を過ごしていた私は彼の潔い死に方に敬服した。

驚くことに、彼が生きた紀元前450年頃は、日本の縄文時代であり竪穴式の住居に住み、食べることだけに一日を費やしていた。その頃ギリシャは既に、高い文化をつくっていたのである。

第2は、トルストイの著書「人生の道」である。「魂は肉体に宿り、心と身体を統御・支配する」と簡潔明瞭に記されている。私の魂主導の生き方そのものを示しており、自信と勇気が沸くるのを憶えた。

第3はV・E・フランクルの著書「夜と霧」である。オーストリアの精神心理学者であった彼は、第二次世界大戦の時、ユダヤ人のためドイツのナチスに捕われた。収容されたアウシュビッツで、異様な光景を目撃した。国歌を歌いながらガス室に入っていく者や若者の身代わりになる老人もいた。また、支給の黒パンを病人の枕元にそっと置いて作業に出て行く者もいた。

彼は、この崇高な行為の精神は人間のどこから出ているのかを考えた。戦後にこの問題を研究し、その精神の出所は、日本で言われている魂であると著書に発表している。

戦場での「魂」との出逢い、そして三哲人の著書との出逢いが私の人生を導き、105歳の長寿と健康の幸せな人生をつくってくれた。感謝すべき言葉を知らない。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2025年10月)より』

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