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Vol.102 人生の目標と目的

2006/01/10

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明けましておめでとう。新しい年は何度迎えても気持ちのいい、ちまたに清新の気が溢れ誰もが初心に返り、新しい勇気が湧いてくるのを覚える。大方の人が、新しい年に向かっての抱負を語り、新しい目標を定めて決意を新たにしているはずである。

しかし、皆意気込みは盛んだが、その効き目は徐々に薄れ、一ヶ月も経たないうちに目標が何であったかさえ忘れ去っている。私とてもその例にもれず、長い間自らの不甲斐なさをかみ締めてきた。

ところが、近年になって、なぜ一端決めたその目標が達成できないかがやっとわかった。その原因の一つには、「目標」があって「目的」がないことである。目標を精密に作り達成に努力を重ねても効果が生まれ難いのは、それが単なる努力の目標であって、"何のために"という目的をもっていないからである。

たいそう分かったようなことを述べたが、私の体験からその経緯が分かってもらえると思う。

私が43歳、社長就任が決まったとき、上場企業の経営者として恥ずかしくない人間に仕立てるため、何を自分に課すべきかを考えたところ、まず思いついたのは禁煙だった。禁煙もできない人間がどうして人の上に立つことができようか。もし禁煙も出来ないようなら将来成長の見込み無し、早々に辞任すべきだと自分に言い聞かせた。ところが、以外にも少しの痛痒もなく禁煙は達成できた(少しも苦しまないで禁煙できる方法を教えます)

禁煙できたことに気をよくして、次に早朝ジョギングとアラーム無しの5時起床を決めた。朝自発的に起きられないようでは、どんな目標を掲げてもダメだと考えたからであり、85歳の今日まで40年間続けている。目標が困難なほど達成後の喜びが大きいことを知った。

これでまた自信を得て、次にジョギング後の冷水浴に挑戦し、また屋外プールで泳ぐことにした。天然の温度ゆえ、冬は肌をさすように冷たいが、泳いだ後、自分を完全にコントロールできているという自信と満足感で充分に報われる。たとえ風雨が強くても止める理由にならないどころか、不思議に勇猛心が湧いてくる。元旦と3日に瀬戸内の海で泳ぎ初めて30数年になるが、正月の海で泳ぐ爽快さは言葉にならないほどの快感、「やったぁ!」という達成感と自己実現の喜びを満喫できる。

私がこのように次々と挑戦目標を求めてきたその根底には、「人の上に立つ人間として恥ずかしくない自分に仕立てねばならない」という目的があった。その源流は、かつて戦場で「何のために死ぬべきか」を考え、死に甲斐がすなわち生き甲斐であることを知った瞬間に、その後の私の生き方が決まったのである。

いったん捨てたはずの命がまた与えられ生かされているのだ、最大限に活かさないでは申しわけない。そのためには、自分の潜在能力を発揮して社会に貢献することであり、持てる能力は社会に役立ってこそ活かされるというのが私の生きる目的となった。

毎日の行動や生き方を通して要約すると、最初に目的があり、目的から方針が生まれ、方針から目標が考えられ、その目標達成のために実施計画が立てられる。その計画に従って行動が始まり、行動の継続が習慣を作り、習慣は期せずして人格を作る。人格は運命を作り変え、運命が人生を作るという構図がみえてくる。

目標は頭で考え意欲さえあれば作れるが、優れた目標ほど達成は難しい。それを実行に移し達成するには、不撓不屈(ふとうふくつ)の強い意志が必要となる。しかし、意志は肉体と違い鍛えて強くすることはできない。強い意志は高邁な目的意識、「肚(はら)」からしか生まれない。「肚」は人間の生き方を決めるところだから強いのだ。

もし目標が高邁な目的をもつならば、人生の目的達成の強力な推進力となるのは間違いない。また、人生の目的が原動力になった習慣は、素晴らしい人生を創造してくれる。

新年を迎えるにあたって、「肚」を決めようではないか。一回限りの人生、何のために費やせばよいのか、生きる目的は何かを考えるよい機会にしていただきたい。

航海日誌