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Vol.103 今、そして未来に生きる

2006/03/03

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私たちはみな、未来に向けてよりよく生きていくべきだと考えているが、ふだん「生きる」ということについて深く考えることがない。ここでいう「生きる」とは、単に生存しているだけの状態ではなく、「今ここに」(here now)しかないということである。

「今ここに」とはいかにも狭量な考えのように思われるかもしれないが、「今」というのは一瞬たりとも留まることがない。そして知らぬ間に過ぎ去って二度と戻ってこない。だから「今」を無視し無造作に扱うならば、「今」の継続である人生を放棄したことになる。「今ここに」を真剣に取り組むことが、とりもなおさず自分の人生を作ることに他ならない。

しかし、ふだん私たちは自分の金や物はケチケチ惜しむが、自分の時間を惜しむ人があまりいない。貴重な時間が無駄に消えていることに気がつかず、なんと勿体無いことをするのだろうか。金や地位、名誉を得るためにはどんな苦労も厭わないのに、時間ばかりはなぜこのように扱うのだろうか。

そのわけは、私たちが人生をいつまでも続くものとみなし、自分が不死の人間であるかのように思って生きているからだ。時間には形が無く目に見えないから、その尊さがわからないのかもしれない。時間の尊さを知るには、自分が死ぬ運命を持って生まれていることを再確認することである。子供でも知っているような漠然とした知識でなく、生きている私たち誰にでも死は予告なしにやってきて、その日が明日かもしれない。だから、今日という日をかけがえのない貴重な一日であると受け止め、生涯最後の日であるかのように生きることである。

今年95歳の日野原重明先生が話された中に、「いのちは時間です」という言葉がある。常々私が思っていたことを短い言葉でずばり表現されている。全力を傾注して「今」を生きることが人生を生き切ることであり、それがそのまま未来に生きることにつながっている。心に描く未来を夢や幻想に終わらせないためには、その尊い「今」をどう生きるか、そして「何のために費やすべきか」が未来を決めることになるのだ。

私たち日本人は、敗戦後のないない尽くしの中から、先進国並みの生活水準に追いつき追い越せという共通の目標のもとに懸命に働いた。その甲斐あってか、わずか半世紀足らずして奇跡の発展を成し遂げ、所期の目標を達成した。

しかし反面、それは物質的に豊かになっただけで、心の豊かさが見られなくなった。その原因は、物質的繁栄のみに目がくらみ、高邁な目的意識を持てなかったからである。そのため、目標には到達したものの、次に何をしていいのか分からない精神的空白状態に陥っているのだ。

私たちに必要だった目的意識は、社会的責任の自覚である。私たちが生まれてきたのも、また生きるのも、社会的責任を果たすためなのである。そんな責任は負いたくないと言うかもしれないが、これは辛いことでも難しいことでもない。社会的責任とは社会に貢献することであり、人も企業も社会に役立つことによって存在が許されるのである。私たちの生きる意味、存在理由もそこにある。人も企業も、どれだけ社会に役立ったかという貢献度によって、未来はひらかれていくのだ。

「いのちは時間」だから、他人に勝手に使われてはならない。みすみす我が命がもぎとられることになるからだ。「今」を常に自分の支配下におき、その全部を意のままに使うべきである。もし「今」を思うままに駆使し得るなら、「今」は未来へのスタートとなり、私たちは充実した、悔いの無い人生を生きることが出来るだろう。

航海日誌