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Vol.104 決断と判断

2006/05/10

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私が経営者、リーダーとして在職中に、会社の浮き沈みに関わる重大な意思決定を迫られたことが何度かある。自分が決定したことの結果がすべて我一人にあり、しかもその決断を瞬時に要求されたことが多かった。意思決定は経営者の仕事なのだが、その時ほど経営者が孤独な存在であることを味わったことはない。

その一つは、当社が創業間もない昭和30年、従業員20余名の頃だった。私たちが創った玩具のように素朴な油圧式トラッククレーンを、大手運送会社N社の本社が採用してくれることとなり、全国の支店からの注文が殺到した。嬉しい繁忙を極めたが、その後一般の荷役業者からも時々注文が寄せられるようになった。それを知ったN社から、「他社に直接売ってはならぬ。我が代理店を通せ。さもなくば納入を差し止める」とクレームがはいった。

さぁ困った。N社との取引だけでも経営は安泰なのだが、一般業者への道が閉ざされると今後の発展の可能性が限られる。かといって、一般の需要がどれほど見込めるかは未知数である。しかも、当社は販売力もルートも持っていないから、今の有力な代理店を失うのは大きな痛手であった。

さぁどうするか。その時私は、N社依存の安定経営よりも、ドン・キホーテと嘲られようと、日本中に販路を求める可能性に賭けようと決めた。盲蛇に怖じずだったかもしれないが、目先の安易な「得」よりも、困難な「損」にこそやり甲斐があると思った。クレーンの製作図面をすべて無償でN社に提供したので、以後の受注はゼロとなったが、安定した依存体質を退け、あえて「損」の道を選んだことが、その後の我が社の発展の礎となったことは確かである。(航海日誌Vol.70「交渉」も参考にされたい)

いま一つは昭和47年、当社が証券取引所二部から一部に上場できることになったとき、幹事証券のK社から、主力銀行をK社系列のD銀行に変えたほうがベターですよとの提案があった。もしそれが可能なら、資金的にもベストの関係が作られるというので、早速当時の主力M銀行高松支店にその旨を申し入れた。

ことは支店長が左遷されるかもしれないほどの事項である。M銀行本店の重役が即刻飛んで来た。重役は「当行はこれまで貴社の主力銀行の役目を立派に果たしてきているのに、なぜ変える必要があるのか。もし変えるなら私にも相応の考えがある」と、天下のM銀行をなんと心得ているのかと言わんばかりの様相だった。

私は毎年決算期前に必ず本店に参上し、この方に逐一当社の業況を報告、説明申しあげてきた。お陰で資金調達に困ることはなかった。私はこれまでのご愛顧に感謝の辞を述べたが、どんな報いも甘んじて受けようと心に決め、前言を翻すことをしなかった。すべての心配は杞憂に終わったが、思えば二度とない劇的なシーンであった。

このような決断ができたのはなぜか。私は在職中、銀行から融資を受けるために宴席やゴルフへの招待は邪道だとして、一度も招かなかった。そのために資金的に窮屈な思いをしたかもしれないが、かえって情実に頼らぬ会社だとの信用を博したのではないかと思う。また、会社の資産はもとより、私個人の資産もすべて抵当に差し出した。もし借入金の返済が滞れば、会社も倒産するが、私も家族ともども路頭に放り出されてもよいと覚悟していたからである。

「決断する」と「判断する」とは、異質の行為である。未知数の多い中から決めるからこそ「決断」が必要なのであって、「判断」は、物事を"自分の物差し"で計るため、合理性や利害、打算でしか考えないから、誤った決定になる場合が多い。

私の求める理想的な意思決定は、理性による比較や判断を離れ、物事の本質を捉えた感性による「決断」である。だから、非合理的な「損」の道を選んだ場合が多かった。しかし、それが期せずしてプラスの結果をもたらしてくれている。その決断は、すべて直感によるか、ひらめき、インスピレーションのようなものに導かれている。

それは、私の潜在意識から得られたとしか言いようがない。潜在意識というのは、私たちが習得した知識を体験によって裏づけされたものが、潜在意識に刻み込まれ蓄積されていて、必要なときにヒョイと私たちに気付きをもたらす。それは同時に"強い意志"となって現れ、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神力と、失敗しても後悔しないだけの覚悟をもたらしてくれる。

このような一連の考え方を持つにいたったのは、私の経営哲学、人生哲学によるところが大きいが、また機会をあらためて触れることにしたい。

航海日誌