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Vol.108 自分に勝つとは

2007/01/09

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『克己』という言葉はよく耳にしてきたが、『自分に勝つ』ことがいかに困難なことであるかは誰もが身に染みて承知している。もし、意志の力で自分の欲望や邪念に打ち克ち、行動や感情を思うままにコントロールできれば、どんなに素晴らしい心境になれるだろう。

『自分に勝つ』とは、一体どういうことだろうか。

それは、自主自立的人間になることであり、主体性を持つことである。主体性があるとは、自分の主人は常に"自分"であること、"自分"を律することができる"もう一人の自分"がいることを言う。"自分"を常に客体として捕らえることができて、「お前はなぜそうするのか。なぜそれをしないのか」と問い詰めることができる"もう一人の自分"がいることである。

私たちの日常にも、あれもしたい/これも欲しいと思うことが山ほどあるが、一方で「それを満たしていいのか」という反省や、「気になる」「良心がとがめる」といった思いが起きてくる。つまり、「したい」という"本能の自分"と、「しては困る」という"理性の自分"がいるのだ。

どちらも"自分"なのだが、足してニで割るわけにはいかない。これらの二つの"自分"を見極める必要があるのではないか。従って、それを客観的に捕らえる"もう一人の自分"、言い換えれば"本当の自分"が確立していなければ、『自分に勝つ』とは出たとこ勝負になってしまうのではないかと思う。

では、『自分に勝つ"本当の自分"』とは、一体何者なのか?

私たちはこれまで、人間は精神と肉体によって構成されていて、人間の意識にある"本能"と"理性"との対立構造で、人間の生き方が構成されていると思っていた。前述のとおり、一人の人間の中に、"本能としての私"と、"理性としての私"という二つの私があって、"理性の私"によって"本能の私"を制御し支配していることが、人間の生き方だと考えてきた。

しかし、『本当の自分』は、"本能の私"でも、"理性の私"でもないだろう。なぜなら、人間の"本能"は、"理性"で制御できるほど柔くない。また"理性"は、生まれながらに持っていたわけでなく、後天的なものである。言葉を覚え、言葉を事実に結び付けていく作業を通して、考える能力を身に付けることが出来たものだ。だから、"理性"は単なる機能であって、私本体であるはずがない。
また、肉体は私本体とはいえない。人間の肉体の細胞は、6ヶ月~3年くらいの間に全部入れ替わってしまうから、肉体を「私」だと思っていたら、「私」は3年毎に別人というわけである。

"理性"でも"本能"でも"肉体"でも無いとしたら、一体何が『本当の自分』の本体なのか。
それに対する答えは、「感性が精神と肉体を結合している本体だ」と、ルートウイッヒ・フォイエルバッハが論破している通り、"感性"以外にありえないではないか。『本音と建前』というが、「建前」は"理性"が創り上げた作為的なものだが、「本音」は、自分自身の実感、すなわち"感性"であり、私たちが本当に自分を表現するものなのである。

結局、"感性"こそがまぎれもない「私」の本体であり、「本当の自分」なのである。"感性"という主体は、"理性"を道具として用い、"肉体"を容器として考えることである。

私たちにとって一番わかっていないのが、自分自身のことである。「本当の自分」が"感性"であることを腹に入れることができれば、『自分に勝つ』とはどういうことか、主体性を持つとはどういうことかがつまびらかになり、人間として最高の生き方が可能となるのではないか。

「本当の自分」を明らかにして、新しい年を迎えていただければ、これに勝る喜びはない。

航海日誌