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Vol.123 人間の可能性について

2009/09/10

先日の世界陸上・男子100m走で、ジャマイカのウサイン・ボルト選手が「9秒58」という驚きの世界新記録を生み出しました。いっぽう身近な人では、先日、私の大先輩がゴルフの「エージシュート」(ゴルフのストロークプレイで自分の年齢をスコアが下回る記録)を達成したと聞きました。
「人間の身体には、無限の可能性が秘められている」というのは、月並みな表現なのかもしれませんが、名誉顧問は「人間の身体能力の可能性」について、どのような考えをお持ちですか?
(質問者:航海日誌愛読者)

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人間の可能性がどれだけあるか分かる人はいない。計りようがないから、無限としか言いようがあるまい。あなたの言うとおり、人間の能力は、可能な限り成長、進歩することができ、その度合いを計り知ることができないと私は考えている。もともと人間は向上心を持って生まれていて、可能な限り自分を成長させ、進歩させたいと望んでいる。つまりどんな人間も、可能性を持って生まれついている。ただ、可能性がどれだけあるかをいくら考えても、実行が伴わなければ何の役にも立たない。やってみないでどうしてそれが分かるだろうか。やってみると失敗もするだろうが、失敗の積み重ねが成功への近道なのだ。ゆえに、人間の可能性は無限だといえる。

人間の限りない可能性を示した例は数知れぬほどある。たとえばヘレン・ケラ-女史は、生後19ヶ月のとき病気にかかり、視力、聴力、言語力を失うという三重の障害を背負ったが、その苦難を乗り越えて立派に成長され、世界中の障害者に大きな貢献をしてきた。わが身を忘れて社会貢献活動に尽くす姿は、人間の可能性の極限を追求する姿といえる。障害を一つも持たない私たちも奮起せずにはいられない気持ちになる。

先日のニュ-スでは「スイスの国際女子棒高跳びで、世界新記録で優勝したエレ-ナ・イシンバエワ(ロシア)は、これまで頂点に君臨し続けていた彼女のベルリンでの挫折が再起のきっかけになった」という記事があった。「ずっとトップにいるとなかなか自分自身のことを分析できなかった。敗れたことは非常に役に立つ、今となっては負けて良かった。そうでなければ世界新記録にこれほどハングリ-になれなかった」と話していた。失敗と挫折があったからこそ、可能性を引き出せたのだ。

では私自身は、自分の可能性をどれだけ実現できただろうか。私は40歳の頃、自分の人生はこのままの延長であっていいのか、何か自分を伸ばすことを考えなければ、と思いついたのが禁煙であった。禁煙もできないようでは、自己啓発などできようはずがない。「分かっちゃいるけど止められない」では、人の上に立つ資格はないと思った。ところが実践してみると、思ったより簡単に禁煙できた。禁煙なんて誰でもできることで、もっと厳しい試練を課さなくては、と早朝ジョギングと水泳を日課に決めた。その手始めにアラ-ムなしの5時起床をトライした。他からの指示がなければ朝起きられないようでは、自主自律とはならないからだ。

以来、50年近くになるが一度も起こされたことはない。ジョギングの後、庭のプ-ルで一泳ぎする。それが済まないと朝食が始まらないスケジュ-ルになっている。プ-ルの水は天然の温度だから、真冬の水は肌を刺すように冷たい。だが、中止の理由が見つからないので年中無休である。それが続くことに自信ができて「正月の元日と三日に海で泳ぐ」というのも決めてから30年近く続いている。また、会社では始業前30分間、ジムでストレッチ運動をしているほか、献血には60歳を超えても協力させてもらった。

次々と私の可能性を追求してきたこれらの実践は、たやすく続けられたわけではないが、苦難を耐え忍んで続けたのでもない。苦が喜びに変わっただけである。嫌な苦がどうして喜びになったのか?どの実践も自分を矯正することだから、必ず苦痛を伴うのだが、ものは考えようで、世の中には苦しいことが楽しい事だっていっぱいある。山登りもその一つである。山が高く険しいほど、危険が多いほど、征服したときの喜びが大きいことはよく知られている。「苦は楽の種」とはこのことだ。

登山者にとっては、苦難=即快楽なのだ。そう考えると私も「苦難こそ成長、進歩になるのだ」と苦難を歓迎する気持ちになった。意志が強いからではなく、考え方が「消極」から「積極」に、「受動」から「能動」に変わったことによる。つまり、価値観が変わったからであって、苦難を自力で切り抜けてきたからこそ得られた成果である。私の可能性の追求は遅きに失したが、それを求め続けたお蔭で今日の私があることは間違いない。もうすぐ90歳を迎えるが、可能性の追求は、生きている限り止まることはない。人間の可能性は無限であると自分にも言い聞かせている。

航海日誌