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Vol.126 私が学んだ人物

2010/03/10

今年のNHK大河ドラマで「龍馬伝」が放送されたのをきっかけに、テレビCMや書籍などでたびたび坂本龍馬が取り上げられ、ちょっとしたブームになっています。個人的には「先の見え難い世の中で、将来の明るいビジョンを見出し、明治維新に向かって駆け抜けた」という人物像が、現在の世相にマッチしているのかな?とも思います。
 名誉顧問は「歴史上の人物」について学ぶことにどのような意義があるとお考えですか?またご自身の生き方や考え方に影響を与えた人物がいれば、ぜひ教えてください。
(質問者:航海日誌愛読者)

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私の基礎的な教養の大部分は「歴史上の人物」からは学んでいるが、その内容は、特定の人物に心酔したわけではないから、高が知れている。むしろ、私の生き方考え方を変え、人格の形成に役立ったのは「近代の人物」であることが多い。西郷隆盛、佐藤一斉、安岡正篤、中村天風、西田天香、森信三、米沢秀雄、芳村思風、村上和雄、トルストイ、ピ-タ-・F・ドラッカ-、エリッヒ・フロム、ビクタ-・E・フランクル、など数えきれないほどある。これらの人たちの残された言葉を学ぶことによって、私の人生観は確固たるものになったと言っても間違いではない。

わが社が零細企業であった頃、苦心して作り上げた幼稚な油圧クレ-ンに注文が殺到した。急遽企業の拡大を図ったが大きく躓いた。私は連日その対策に悩まされたが混乱は増すばかり、挙句の果てに気付いたことは、「お前は何のために企業を経営しているのか」であった。しかも、それに対する答えを持っていないことに愕然とした。核となる目的を持たずに経営していることに気付いたのである。そこで始めて「企業経営の目的はいかにあるべきか」「企業の存在理由はどこにあるのか」について模索し始めた。天の助けか、たまたま目に付いたドラッカ-の書「現代の経営」の中に、私が求めて止まなかった経営の目的が明快に示されてあった。

それまで利益の最大追求が経営の目的だとばかり思っていたが全く違っていた。「利益は経営の目的ではなく、経営の結果であって、企業の社会的貢献度を示す尺度に過ぎない」とあった。もし、利益追求を目的とするならば、その企業の関わる人たち、顧客、従業員、株主、取引先のすべては、利益追求目的の手段にされることになる。即ち、社会に貢献できる企業のみが存続し繁栄を許されることを知った。そこでわが社の経営目的を社是の第一に「奉仕」とした。奉仕の手段として、企業は新しい価値を「創造」することであり、そのために「協力」しようではないかと、「創造」「奉仕」「協力」の三つを企業経営の道標とした。この考え方は次第に浸透して、企業の文化となり、精神風土なって、人は成長し、企業発展の源となったかと思われる。それはわが社の献血の参加者が40%近いことからも窺える。

続いて恵まれたのが、西田天香著「懺悔の生活」がある。「人間は裸で生まれ、死ぬときも何一つ持って死ねないように、生命はもとよりすべては預かりものである」という、「無一物、無尽蔵」の思想に魅かれた。魂を揺さぶられるような感動を覚えるとともに、私がかねてから抱いていた「戦地で失った命は、再び与えられた命である」という考えが間違いでなかったことを知らされた。私の生き方に大きな自信を得ることができた。しかも天香師は、命さえも、預かりものと言い切っているところに、ただただ低頭するしかない。天香師の主唱する研修会に参加して、京都山科の各家へ便所掃除に行った。何軒頼んでも断られるばかり、情けなくなって自信を失いかけたとき、脳天を打たれたかのように、自分が如何に傲慢であったかに気付かされた。謙虚であれとは何度も教わってきたが、少しも分かっていなかった。自分の傲慢さを知ることで始めて謙虚さが分かり、嬉しかったことが忘れられない。人間、壁にぶち当たったからこそ気付くことができる。西田天香師の思想に触れたことが私の人生観の基調となっている。

その後に巡り合った、芳村思風の著「人間の格」は、私の人生の総仕上げにぴったりの書であった。一字一句が血なり肉となる思いで何度も読み返した。「人間とは何か」、特に「感性」や「魂」など心の問題についても明快に示されてあり、納得できる人間学の書であった。感性や魂の存在に気付くことによって、本当の自分とは何かを知り得たことである。中でも感銘を受けたのは、人間は不完全な生き物であり、理性で考えただけで物事の本質を掴むことはできない。理性は合理的にしか物事を考えないので、理性に従った行動からは合理的な範囲の結果しか生まれない。感性こそが人間の本質を表しているのだから、理性を道具として感性に従って生きよと教えてくれた。私はそれまで、物事は理性で殆んどを処理できると思っていたが、実は完全ではなかったことに気付かされた。

また、「愛する」とか、「信じる」「感動する」「祈る」などの行為は、理性で考えて出来ることではない。理屈抜きの所産であり、感性からしか得ることができない。その感性は「自我」の奥底にある「魂」の働きであり、「直感」や「情緒」や「気概」を生み、知恵や分別を作ってくれる。また、理性は「・・・すべき」とか「・・・ねばならない」という考えから意欲は作るが、やり遂げるまでは止めない不撓不屈の意志は、感性からしか作れない。本来、魂は全ての人間の生命に宿っており、その生命は大自然(宇宙)の生命力に繋がっている。人間は動植物と同じく大自然が生んだ生き物であり、大自然の持つ成長進化の生命力に支配されている。故に魂は宇宙の意志を戴しているのだから、常に魂に耳を傾け、その意志に沿って生きるべきだと思った。

ピ-タ-・F/ドラッカ-から、経営とは何かという本質のついて啓蒙され、西田天香師から、生きること死ぬことの真髄を教わり、芳村思風氏からは、人間とは何かについて貴重な示唆を与えられた。何れも感動を覚えるとともに、多くの「気付き」や「目覚め」となって私の人生の道標となっている。私の生き方考え方に影響を与えた近代の人物についてもっと述べたいが、長くなるのでまたの機会に譲ることにしたい。

航海日誌