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Vol.129 父親の子育てへの関わり方

2010/09/01

最近『イクメン』なる言葉を巷でよく耳にするようになりました。『育児に積極的に関わる男性、育児を楽しむ男性』を呼ぶようです。今年6月には厚生労働省が『イクメンプロジェクト』を発足して話題になりました。昔から子育てに積極的に関わるお父さんはいらっしゃいましたが、最近はそれが更に広まりつつあるということでしょうか。 弘名誉顧問のご経験から 父親ならではの子育てへの関わり方のアドバイスを頂きたく、よろしくお願いいたします
(質問者:航海日誌愛読者)

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私には一男二女の子供がいる。子供たちが幼かった頃、私には恥ずかしながら子育てについて殆んど関心がなかった。その頃、創業期だった会社の経営に日夜忙殺され、子育てなどにタッチする気など起きることはなかった。ところが、思わぬきっかけから、子育てについて考えざるを得ない羽目になった。同時に、無関心だった私の考え方を大きく変える端緒となった。

そのきっかけというのは、長男の進学した中学のPTA会長を要請され、子供を託している弱みもあって仕方なく受けたことである。そうした関係から、子供の教育というのは、知育・徳育・体育の学校教育と併せて、家庭教育の「しつけ」が大事なことを聴かされた。顧みて、自分が父親として、子育ての責任を充分果たしていないことを知って愕然とした。それまで家庭というのは、私にとっての安息所、唯一のくつろげる場だとばかり思っていたが、そうではない、子供の「しつけ」の神聖な道場でなければならないことに気づいた。

自分自身のことを考えてみても、「しつけ」というのは、自律心を養うことである。言われたことだけをする素直さだけでなく、言われなくてもできる自主自律の人間になること。そのためには、他から指示されなくてもそれに気づいて、自発的に行動するようになることである。この「気づかせる」のがポイントで、靴の裏から足をかくような、もどかしいが気長い指導が必要となる。これが子供の自律心を養う最短距離なのである。後でこの考え方が、行動心理学の非指示的指導というものであることを知り、意を強くした。

非指示的指導というのは、何もしないでよいのではない。強い指導理念に基づいた父親自身の行動によって示すことより外にない。「親の背を見て子は育つ」と昔の人が言ったが、子供が気づくまでの気の遠くなるようなことを、親自身が身をもって示すことである。子供を変えようと思えば、まず親自身が変わることであり、共に成長することでなければならない。子供というのは、親が何を考えているのか、何をやっているのかに最大限の注意を払っている。だから指示したり教えなくても、親の日常の佇まいや習慣や癖を、知らず知らずに真似るようになる。海軍では部下を育てるのに、「やって見せて、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ」と教えられ、長たる者の率先垂範を強調された。

私の率先垂範の第一弾は、それまで一度もしたことがなかった、「親子の挨拶」を私から始めたことである。最初は他人行儀のように思えたが、「親しき仲にも礼儀あり」とあるように、子供を一個の人格を備えた人間として視ていることを、態度で示すのが朝夕の挨拶である。暫く続けているうちに、親子が自然に挨拶を交わすようになった。子供は親からの挨拶で、自分が一個の人間として認められているのだという自覚が生まれたのだろうか、なにごとにも自発的な行動をするようになった。

次に「履物を揃える」ことを率先して励行した。これも海軍の「出舟の精神」である。続いて「食事の前後の合掌」も私を真似て全員がするようになった。また、子供を丈夫に育てるために、医者と薬を敬遠し、風邪や腹痛などは子供の自然治癒力で治してきた。だから一度も医者に診てもらったことがなく、家には体温計も氷枕も置いてなかった。もし、医者や薬に依存すれば親は安心できるが、子供の免疫力を失わせ、虚弱な体質にしてしまうと思ったからだ。金が惜しいのではない、子供を頑健にするために、子供が病むとき、親もともに苦痛を味わってやるのが真の愛情だと思った。テレビも、我が家だけが長い間置くことをしなかったので、「なんとケチな、薄情な親か」と恨んでいたかもしれないが、大人になって分かってくれたと思う。

次に、困難に打ち勝つ強い精神の持ち主に育つことを願った。人間は苦難を自力で乗り越えることによってのみ成長し、安逸は人間をダメにし、飽満と堕落を招くので、「安易な道より苦難の道を選べ」をモット-とした。したがって、学力を補うため塾に通うとか、家庭教師に就くことを許さなかった。金の力や他人の力に依存するようでは実力を養うことはできないと思ったから、大学入試も、滑り止めの私学受験をさせなかった。卒業後の就職についても親は一切ノ-タッチ、「自力で好む会社に入れ」と励ました。

私の子育てとしてやったことは、日常の些細なル-ルを決めて習慣化しただけなのだが、私の及ばなかったところを子供が察知して埋め合わせてくれたのかもしれない。子育ては私にとって思いがけない良い経験になった。人は人の教える立場に立って、始めて身につくことを知ったことである。もし、今度父親に生まれ変われたなら、もっと上手に子育てができるかもしれない。

航海日誌