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Vol.131 新年を迎えて

2011/01/05

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新年を迎えるというのは誰にとっても、なんとなく引き締まった気持ちにさせてくれる。誰もが今年こそ、これまで実現できなかった望みごとを達成しようと意気込んでいるのではないだろうか。その達成に必要な目標を考えたり、実現のための具体的な計画を立てているだろうが、その実行が最後まで持続して行われることは稀である。十中八九、三日坊主に終わることが多いのだが、私の若い頃も毎年懲りずにこれを繰り返していたように思う。一旦決心したのに続かないのはどうしてなのか、やり抜くにはどうすればいいのだろうか。

結論から言うと、それは習慣化していなかったからである。言葉で言えば簡単なことではあるが、習慣化できない最大の理由は、目標を考える前に発心(ほっしん)というものがなければならないことである。発心というのは、その人の持っている価値観を覆し、人生の生き方を変えてしまうほどの強い力を持っていて、そのポイントは「気付く」ことにある。頭で考えて「思いつく」とか「考え付く」ことと全く次元が違っている。それは頭で「分かっている」だけで、心の底から気付いていないから「考えは変わらない」、考えが変わらないから「行動も変わらない」し、生き方も変わることがない。

したがって、「気付き」のあり方で発心の深さが決まり、決心や持続心にも大きく影響する。そのような「気付き」はどうしたら得られるのだろうか。例えば、私たちの誰もが遭遇する失敗・病気・災難など、特に生と死の問題に直面したとき、悩み苦しんだ末にハッと「気付いた」不退転の気持ちが発心となる。そのようにして作られた発心が揺るぎがない決心を作り、持続心を支える力となる。

「気付き」は「ひらめき」とも言い、それまで持っていた知識や考え方とは何の関係もない考えが浮かび上がってくることであり、「考え付く」のでなく「気付く」ことで得られる。言い換えると、論理的思考の後に続いた無意識の働きによって、突如、天からの啓示が下ったかのように考えが開けてくることを言う。私がこれまでに「気付いた」発心の最大のものは、青年期に過ごした戦場の体験を通してである。

数え切れぬほどの死に直面しながらも、命永らえて祖国日本に帰ることができた。その間多くの戦友を亡くしたのに、自分だけが生きて帰れたのは、私の身代わりになってくれたんだ。すまない、申し訳ないという負い目を感じずにはいられなかった。この生かされてきた命を無駄にしてはならない。せめてこの与えられた命を活かし、役立てることが、私の終生の仕事だという思いに「気付いた」のである。それが私の生きる目的を決める最初の発心となった。

第二の「気付き」は、小規模のわが社が市場第二部に新規上場され、社長に任命された43歳のときである。自分の未熟さを十分知り尽くしていたが、任命されたからには上場企業の経営者に相応しい人間にしたててみようと気付いた。そのために何をすべきかと、最初に取り組んだのが恥ずかしながら禁煙であった。それがうまくいったので、早朝ジョギングを課し、同時にアラ-ムなしの5時起床を始めた。続いて早朝の水泳、正月の寒中水泳というふうに、次々と挑戦種目を加えていった。しかもそれを47年余続けられたことである。今振り返ってみると、青年期の「気付き」による発心が決心をつくり、持続心を育て、長い間馬鹿みたいなことを続けてこられたのかもしれない。  雨が降っても風が吹いても、凍るように寒い日も止めようとしないのは、他から見て馬鹿かと思うだろうが、何がそのような行動を採らせたのか。それはビクト-ル・E・フランクルの名著「夜と霧」に示されている、超越的無意識ではないかと思う。無意識の行為には惑いがないから自由な振る舞いができて、そこに言い知れぬ満足と喜びをもたらしてくれる。一般の奉仕活動もこれに類した行為がある。災害地での奉仕や街路の屑拾いなど、なんのてらいもなくできるのも無意識のなせる業である。わが社の献血運動に社員の四割近い応募があるのは、奉仕に心の平安と喜びを感じる信念の持ち主が多いことを示している。

これらの奉仕活動の多くは、頭で考えて始めたのではなく発心が端緒となっているはずである。意義ある目的に気付くことによって発心が生まれ、それを戴(たい)して方針が決められる。その方針に従って具体的な目標と行動の計画が立てられ、実行を決心するだろう。実行はいつの間にか無意識の振る舞いとなってやがて習慣となり、その自由な振る舞いは期せずして人格を形成せずにはいない。人格は運命を呼び寄せるから、勢い人生を創造するに至る。すなわち、一つの習慣が人生を創造することになるのだが、その始発駅が「気付き」による「発心」ということである。今年も皆さんの素晴らしい発心の年になることを願って、これを新年に当ってのプレゼントにしたい。

航海日誌