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Lifting your dreams
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Vol.135 捨てなければ得られない

2011/09/01

今やすっかり定着した「断捨離」。提唱したのはクラターコンサルタントの「やましたひでこ」さんで「断業、捨行、離行」というヨガの考え方を応用し、不要な物を断ち・捨てることで物への執着から離れ、身軽で快適な生活を手に入れる考え方とのことです。
 整理収納については、過去さまざまなハウツー本が出ています。それらと断捨離の違いは「身辺の片付けだけでなく、身辺をスッキリさせることで気持ちも整理し、前向きな自分に変わる」という精神的な変化を目指している点だそうです。
 弘名誉顧問は若い頃の軍隊生活のご経験から、限られた空間で快適に過ごす習慣が身についていらっしゃるように伺ったことがあります。また過去の航海日誌で、ご趣味のヨットの船内では何処に何を収納しているか全て記憶していると拝読したことがあります。断捨離に通じるものを感じますが、身辺を整えることと生き方には関連がありますか。
(質問者:航海日誌愛読者)

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私たちは誰でも、常に持つこと増やすことに関心を寄せており、それを得た時に満足と快感を覚えるとともに、一旦所有したものは失うまいとする。同時に、持つこと増やすことに執着するほどそれを失う恐れを大きくし、常に不足を感じ、決して豊かであり得ない。例えば財や地位、名誉などを持つことは素晴らしいことであるが、それはあくまでも結果であって、獲得したのではなくて与えられたのである。自力で獲得したものだと思うと、それに依存するようになり、真の豊かさとはなり得ない。私たちが求めたいのは得ることや所有ではなく、捨てること与えることのできる心の豊かさではないだろうか。

得ること持つことに執着すると、それを失うまいと保守的にならざるを得ない。それに比し、捨てること与えることはとても創造的で、心の豊かさを実感させてくれる。捨てること与えることは失うことなのに、どうして豊かさを生むのだろうか。得ることや持つことよりも、捨てることや与えることのほうが、よほど心が豊かになれるのを知っているからだと思う。心の豊かさは「小欲知足」から生まれ、欲を小さくすれば、すべてが足りるのを知ることができる。古来、禅の世界では「本来無一物」といわれ、自分の持ち物というものがなくなれば、すべてが自分だという「無一物中無尽蔵」の悟りの境地が生まれると教えている。

私たちにはとてもそんな境地は望むべくもないが、それに向かって努力するならば、心の豊かさを得られるのは間違いない。だからといって小欲で我慢するではなく、大欲に眼を転じ、世に役立つ人間、なくてはならぬ存在になることである。「欲を捨てろ」とよく言われるが、欲は捨ててはならないのである。生きている限り欲は必要だし、私たちは欲を捨てて仏になることでなく、あくまでも人間でなければならない。したがって欲はなくすることはできないが、小欲を大欲に変える必要がある。

私たちが生きている以上必要とされる欲は、本脳という生存欲と、生まれてから自分が作った理性とで合成されている自我欲である。私たちは本能を理性で統御することによって普通の社会生活は営めると思っているが、自己中心的であることは否めない。大事なのは、その自己中心的な自我を自分の中に持っているという自覚が必要で、その自覚から謙虚さが生まれる。自己中心的な私たちが、進んで捨てたり、与えることができるのはどうしてか。それは自分にとって一番大切なものは何かを知っているからである。

私も、ようやくこの齢になってそれを身につけることが出来た。戦時中、南方の島でとっくに死んでいなけりゃならない私が、不思議に生きていた。捨てたと思った命がまた得られたのは、もうこれは自分の命ではない、神がもっと生きよと私に与えてくれたのだと思わずにいられなかった。この命は神からの預かりもので、生きてる間使わせてもらい、時期がくれば礼を言って返せばよいと思った。まさに自我が消えて大我に生きる境地が生まれたと言える。

捨てること与えることについて考えさせられたことは度々あるが、50年余り前、衝撃的な場面に出遭ったのはタイのバンコックだった。早朝ホテルから散歩に出かけた時、民家の前に並んで立つ婦人が、前を通る若い僧に供物を与えていた。それは与えているのではない、合掌して捧げている光景を目の当たりにして、感動せずにはいられなかった。これこそ真の心の豊かさの所産「貧者の一灯」ではないかと思った。その思いはやがて献血として表れ、年2回15年間続けられたのは終生の誇りとなっている。私の血液が役に立っているのだと思うと、ほのぼのとした豊かさを覚える。私の献血が社員の動機付けともなり、タダノでは4割近い驚異的な献血率を示していることが、さらに私の心を豊かにしてくれる。

命は自分の持ちものだと考えている限り、私たちは死ぬことを恐れなければならない。どんな合理的な説明もこの恐れを除いてはくれない。生命を自分の所有だという思いは、死ぬことの恐れではなく持っているものを失う恐れである。この恐れをなくさない限り、心は不安でいつまで経っても豊かにはなれない。私たちの命は人知の及ばぬ宇宙の意志(神)によって与えられたから生まれたのであって、生命は授かったのであるが自分の所有ではない。時期が来れば必ず返さねばならない預かりものであって、生きてる間レンタルしている思えば失う恐れは吹き飛んでしまう。

私たちにとって一番大切なものを得るには、捨てなければ得られない。生命をはじめ自分の所有はすべて預かりものであり、捨てること与えることによって私たちは真の豊かさである優しく満ち足りた気持ちになれるのではないか。

航海日誌