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Vol.138 "ものづくり"の精神

2012/03/01

過去のヒット商品の復刻版が次々と発売されて話題になっています。カップラーメンや炭酸飲料といった食品のみならず、自動車メーカーも過去に一世を風靡した車名を冠した車を発売する動きがあるようです。当時を知る人間としては非常に懐かしく、購買意欲をそそられるものがあります。こうした私のような購買層を取り込み需要を興す狙いがメーカーにはあるのかもしれませんが、過去のヒット商品が現代でも広く人々の心を掴むのは、懐かしさ一辺倒には思えません。そこには時代を超えて愛される理由があるのではないでしょうか。
 現代では、過去の製品をそのまま復刻するのではなく、例えば自動車は低燃費やハイブリッドなど時代の要請に合わせた高性能な仕様での再登場を果たし、ヒットした当時を知らない世代の人々にも受け入れられ、新たな購買層を開拓している点も興味深いものです。
 時代に応じて求められるものが変わろうとも、時代を超えて愛されるものの根本は、そのものが"いいもの"であり、そうした息の長い"ものづくり"の精神はいかなる産業でも相通じるものだと思います。私たちもそうした製品を将来にわたって作っていきたいと思います。
 弘名誉顧問は、時代を超えて愛される"もの"づくりについて、いかがお考えでしょうか?
(質問者:航海日誌愛読者)

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当社は現在、小規模ではあるが油圧クレ-ンのトップメ-カ-として、その半数を海外に輸出するグロ-バル企業にまで成長してきたが、その発端は65年前、親子3人の"ものづくり"で始まっている。これまで"ものづくり"について、どんな考えで取り組んできたか、どのような経緯で油圧クレ-ンが生まれたかを振り返ってみたい。恥ずかしながら、私たちの"ものづくり"に対する考えが確立するのに10年近くを要している。

終戦の翌年(1946年)、父と私と弟の3人がこれから何をするべきかを相談したのが、ことの始まりだった。結果、いずれも機械屋の端くれだが、3人力を合わせれば何かものにすることができる、何かを作ろうと意見が一致した。その時、たまたま思いついたのが製瓦機だった。すべてを戦災で消失し、全く徒手空拳のスタ-トだったが、何もないことがかえって私たちを創造的にしてくれた。製瓦機は鋳鉄製であったのを鋼板溶接製で自作し、他は全部外注して作り上げた。加工設備なしに作り上げた、鋼板製フレ-ムの国産1号機は、創造の喜びをもたらすとともに大きな自信を生んだ。続いて油圧ジャッキを利用した菜種油の搾油プレスを思いつき、これも鋼鈑溶接で作ったものだった。食用油は闇市でしか入手できなかったので大変重宝がられた。

この2機種の開発の経緯を見ても「今市場は何を求めているのか、その中で自分たちの限られた能力と設備で作れるものは何か」から絞り出したアイデア製品でしかなかった。それらは近視眼的な思いつきに過ぎず、その市場性も小さかった。1948年資本金僅か50万円の株式会社として形を整え先の発展に備えたが、従業員は僅か7名だった。その後国鉄の保線作業の機械化の募集に対して、枕木位置整正機の手動と油圧の二機種を試作応募し、総裁最優秀賞を得て国鉄前線に使用された。その利益は、後の製品開発と会社発展の大きな資金源となった。

そうした背景のもとに、1954年まで次々と市場の要求に応じて新製品を開発していった。例えば圧型スレ-ト瓦製造プレス、中古トラック架装のダンプカ-、中古三輪改装のショベルロ-ダ-、可動式コンベヤ-など、ほとんど試作即販売だったが、顧客の要求に応えることができた。中には中古トラックを利用した機械式クレ-ンのように、設計試作したものの見事に失敗したのもある。これら試行錯誤の製品の市場価値は間もなく消えてしまったが、経験した"ものづくり"の技能は、その後に役立つものとなった。

1955年、日本通運本社から中古トラックを利用した荷役の機械化の募集を知り、私たちの幼稚な知識と僅かな経験をもとに、油圧式の玩具に等しい2トンのトラッククレ-ンを作り上げた。ところが、これが大好評で全国の各支店に配置されるようになり、急遽人員を増やし設備も増強して増産することにした。それが発端となって全国的に荷役の機械化、省力化の機運が高まり、一般市場の需要が急激に膨れてきた。

しかし、調子がいいことが何時までも続くわけがない。"ものづくり"がそれまでうまくいったのは、単なる思い付きが当たったに過ぎなかったのである。急増した発注に備えて社員も100名近くなったが、計画通り増産できず現場は混乱が続くばかりとなった。身の程をわきまえずに突っ走ったからだ。日夜その解決に悩み苦しんだがその糸口が見つからず"ものづくり"のリ-ダ-たる自分がいかに無力であるかを思い知らされた。思い悩んだその挙句、ふと「お前は何のために"ものづくり"をしているのか」の問いに対して、自分が確とした答えを持ってないことに愕然とした。

ならば"ものづくり"の核となる精神、即ち経営の目的はどうあるべきかを真剣に模索し始めた。運良く偶然出合ったピーター・F・ドラッカ-著「現代の経営」に、私が求めて止まなかった経営の哲学が分かりやすく述べられてあった。一瞬ドスンと腹に入るとともに心底から感動が湧き上がり、この考えで経営するなら結果どうなろうと悔いがないと思えるほど、惚れ込んでしまった。長い間心の隅にくすぶっていた闇がからりと晴れ渡った。

"ものづくり"即ち経営の目的は、利益の追求ではない。利益はあくまでも経営の結果であって、企業の社会的存在価値を示す尺度に過ぎない。ゆえに、社会に有用な価値を創造することによって社会に貢献奉仕することが目的であることを知った。もし"ものづくり"の目的が利益の追求であるとするならば、それに関わる顧客、従業員、仕入先などの人たちは、すべて利益追求目的の手段にされることになる。従って"ものづくり"の目的は、価値を創造することによって社会に貢献すること、そのために協力し合うことであり、わが社の社是を「創造・奉仕・協力」としたのである。言い換えると"ものづくり"の心は、自分を忘れ他のために尽くす愛の現われに他ならない。

航海日誌