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Vol.140 オリンピック観戦について

2012/07/04

7月27日から8月12日までロンドンオリンピックが開催されます。世界中から集まったアスリート達の活躍に目が離せません。日本とロンドンの時差は8時間(サマータイム中)。開催期間中、ライブ中継での観戦で睡眠不足気味になる日本人も多いことでしょう。
弘名誉顧問はオリンピックを観戦する際、どんなことに注目されていらっしゃいますか。また、今まで観戦してこられたオリンピックで、特に心に残っていらっしゃるのは、どの大会・競技でしょうか。
(質問者:航海日誌愛読者)

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私が他人との勝負を嫌うのは負けず嫌いのせいかと思うが、オリンピック競技の勝ち負けは別格で、強い関心事になっている。世界中から選ばれた選りすぐりの選手たちが死力を尽くして競い合う様子は、いずれの種目においても瞬時も目が離せない、息詰まる緊迫感を与えてくれる。ハラハラドキドキする気持ちが、言い知れぬ快感をもたらしてくれるとともに、一心に打ち込む姿に美しさを感じる。特に日本選手がライバルに競り勝った場面など、その感が大である。

オリンピックの中で最も関心がある競技種目は、水泳とマラソンである。水泳は少年の頃から親しんでいて、今も自宅のプ-ルで早朝泳ぐのを日課にしており、正月には海で初泳ぎをしている。マラソンは、74歳まで全国各地の大会でハ-フマラソンに参加してきた。そのため、両種目の競技には特に興味が深い。

今までのオリンピック競技で鮮明に覚えているのは、古くは水泳の前畑秀子(まえはた ひでこ)の活躍である。1932年の第10回ロサンゼルスオリンピック200m平泳ぎに出場し、銀メダルを獲得、続いて翌年に200m平泳ぎの世界新記録を樹立している。3年後のベルリンオリンピックにも出場し、日本人女性として五輪史上初めての金メダルを獲得した。そのとき実況放送のアナウンサ-が、前畑のデッドヒ-トを見て興奮のあまり「前畑ガンバレ前畑ガンバレ」と20回以上絶叫。それをラジオで聞いていた日本中の国民の熱狂ぶりは、長い間語り草となった。

男子の水泳競技では、古橋広之進(ふるはし ひろのしん)を抜きに語ることはできない。1949年ロサンゼルス全米選手権に招聘された彼が、400m・800m・1500m自由形の3種目で世界新記録を樹立し、アメリカの新聞に「フジヤマのトビウオ」ともてはやされた。渡航前には昭和天皇やマッカ-サ-元帥から励ましの言葉を頂戴している。戦後間もない頃、日本人は米国民から「ジャップ」と呼ばれていたが、この大会後は一変し、戦後の日本国民をどれだけ勇気づけたか計り知れない。

最近では水泳の北島康介(きたじま こうすけ)である。彼は高校3年生の若さで、2000年シドニ-オリンピックに出場し、平泳ぎ100mで4位入賞。2004年アテネと2008年北京の両オリンピックにおいて、100m・200m平泳ぎで金メダルを獲得し、オリンピック史上初の平泳ぎ二大会連続二種目制覇を果たしている。日本選手権でも4年連続で50m・100m・200m平泳ぎすべてに優勝し、史上最高記録を打ち立てた。アテネオリンピックで金メダルを獲得した時、インタ-ビュ-で「チョ-気持ちいい」とコメントした彼の言葉は、その年の新語、流行語大賞に選ばれている。また北京オリンピックで金メダルを獲得した後のインタ-ビュ-では、涙をこらえきれず絞り出すような声で「なんも言えねえ」とコメントし、これも流行語となった。

女子マラソンでは、有森裕子を挙げる。生まれたときに股関節脱臼だったこともあり、怪我が絶えず、トライアスロンへの転向も考えたことがあったようだ。しかし1990年大阪女子国際マラソンに初出場し6位入賞、翌年は同レ-スでは2位になり、当時の日本最高記録を樹立し、バルセロナ五輪出場の道につながった。バルセロナ五輪では見事銀メダルを獲得し、日本女子陸上競技会にとって64年ぶりの快挙を遂げた。1996年アトランタ五輪では惜しくも3位だったが、2大会連続の五輪メダルは、有森が初めてである。ゴ-ル後のインタ-ビュ-で「自分を褒めてやりたい」と涙ながらに語った姿は感動を呼び、その年の流行語大賞に選ばれた。とっさにこの言葉が出たのは、確とした主体性の持ち主であることを示しており、だからこそ、これほどの偉業を成し遂げられたものと思う。

オリンピックの観戦でまず目を惹かれるのは、選手たちの無駄のない均整のとれた肢体だが、私が特に注目しているのは、彼らの競技中の表情の変化である。スタ-トラインについたときと、ゴ-ルを切った直後の選手の表情から読み取れる心境の中身である。祖国の期待を一身に背負ってオリンピックの華やかなひのき舞台に立ち、世界中の注目を浴びている彼らが、スタ-ト数秒前の胸中では何を考えているのだろうか。おそらくはち切れるようなプレッシャ-しか感じていないに違いない。

スタ-トした後は、多分無心になって、これまでに培ってきたものを全力で出し切る思い一筋ではないだろうか。そしてゴ-ル後の彼らの胸中は、勝ち負けのことよりも自分の全力を出しつくした満足感の方が大きいか、あるいは目標タイムに達しなかったことに対する反省に心を奪われているかではないだろうか。いかなる結果に終わろうとも、オリンピックに出場するために彼らは血を吐く思いで練習を重ねてきたに違いない。どれだけの犠牲を払い、数知れぬ不自由に耐えてきたかは計り知ることができない。

おそらく、練習を阻む最大の敵は自分だろう。「これぐらいやれば十分だろう」と安易に妥協しがちなのが人間である。それを断ち切り、どこまでも自分の可能性を追求してやまなかったからこそ、オリンピックに出場できたのである。私たちの人生も、オリンピック競技と同じことが言えるのではないか。人生が終わるとき、「よくやった」と自分を褒めてやれるものにしなければならない。

航海日誌