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Vol.142 栄枯盛衰の人間学

2012/11/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

人生に喜怒哀楽があり栄枯盛衰があるのは世の常である。そのとおりだと割り切れれば言うことは ないが、そう思えないところに人生の面白さや不思議さがある。生きているかぎり、悩んだりつまず いたりすることはあるわけで、良いことづくめであったなら、その方がよほど不自然である。ものご とがもめごとなしにうまく運ぶことはきわめて稀で、つまずきながら発展するものだと言っても過言 でない。だから、素晴らしい発展には同時に大きな苦しみを伴うものだと、その苦しみをしっかり引 き受けることである。

苦しみと楽しみは別々のものではない。苦しんだ後に楽しみが来るというよりは、苦しみの中に楽 しみの種が潜んでいるのだと分かることである。悩みや苦しみなしに学ぶことはできない。皆自分だ けが悩み苦しんでいると思い込んでいるが、そんなことはない。悩んでいるが話さないだけである。 だから、自分だけが苦労しているということはない。他の人たちも普通みんなが考えているように「 うまくいってる」とは限らない。

身の上に起こる悩み苦しみからは、決して逃げてはならない。そこから逃げたら絶対に成長しないし 、なにごとも成就することはあり得ない。逃げないで、引き受けてやるという気構えが出るその瞬間 に、それまで嫌だと思っていたことの苦悩がなぜか半分に減ってしまうのである。「俺は全部引き受 けていくぞ」という気持ちになると、案外、問題は解決していくものであることを私は度々経験して いる。

仏教の悟りの最も根底にあるのが「一切皆苦(いっさいかいく)」である。「人生は苦しみで一杯で ある」と、なぜ釈迦は言わなければならなかったのか。それは、私たちが「人生は苦しみなり」と悟 ることによって、たとえどんな苦しみが来ても「それが人生じゃないか」「人生はそういうものだ」 と積極的に苦しみを受け止めていけるからである。また、苦しみを乗り越えていく力が湧いてきて、 楽を求めて逃げたりしなくなるからである。

人間は常に何らかの問題を抱え悩み苦しむ。成長しようとすれば、必ず悩み苦しみにぶつかる。それ が人生を生きることなのだと割り切れば、どんな苦しみが来ても引き受けていくことができるのでは ないか。人生の苦しみは、神仏が私たちをより強く鍛えるために、より素晴らしい人格の持ち主にす るために与えてくれた試練であると受け止めればいい。

「人生は七転び八起きである」と実感できたとき、それは悟りである。「人生は、のたうち回って生 きていくところに醍醐味があるのだ」と悟ってしまえば、もう下には落ちようがないから、後は良く なっていく以外にない。成功する人は皆、いつでも裸一貫になる覚悟ができている。苦痛や不安を伴 うことを引き受ける意志がなければ、誰も成長などしないし、何事も成就しないだろう。人間として 真の成長・進歩を求めるならば、心身の苦痛は喜んで引き受けるのでなければならない。

私たちの求める理想の境地は、自分に起こるものごとの全てが利であり、得であると感じられる世界 である。いかなることも、何一つ損はないのだと言う受け取り方ができなければ「自分にはやらねば ならない使命があるのだ」という気概を持つことはできない。  

全てが得なのだ。人生に何一つ無駄はない。「失敗をした。ああ、失敗させてもらって有り難い、自 分を成長させるために神仏はこの失敗を与えてくれたのだ」「人と喧嘩をしてしまった。ああ、自分 を成長させるために神仏が喧嘩をさせてくれたのだ」と、それを糧に成長せねばならないと考えられ るようになるのである。人間的成長にとって、人生に起こるどんなこともマイナスになることはない 、すべてが自分の栄養と内容になっているのだ。そういう気持ちで何事とも受け止めることができて 初めて、自分のやることについて何の悔いも残らない人生を歩むことができるのだ。

人生に、もしも不幸がなければ幸福も存在しない。病気があるからこそ健康もあるのだ。また、不幸 にもピンからキリまであって、もっと不幸な人から見ると、ある程度不幸な人はまだ「幸福」に見え るものである。末期癌の患者の眼には心臓病の患者は羨ましく見えるかもしれない。このようにすべ ての価値概念は相対的なものである。

私たちの人生で一時的にはマイナスに見えるもの、例えば、挫折、病気、失敗などにも必ずプラスと なる可能性を含んでいる。その可能性を見つけて具現化さえすれば、過去のマイナスもプラスに変え ることができるのである。楽なことや楽しいことばかりを追い求めていたのでは本当の楽しさは分か らない。苦しさを知っているからこそ、楽しいということの本当の意味が分かり、歓喜は辛苦があっ てこそ初めて生まれてくる。だから、人生がもし歓喜ばかりということになれば、それはもう歓喜で はなくなる。歓喜だけを追い求めることの愚かさを知らねばならない。

人生は喜怒哀楽や栄枯盛衰があるから素晴らしいと言わずにおれない。

航海日誌