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Vol.143 人生に誓うものを持つ

2013/01/07

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

「自分の人生に誓うものを持つ」とはどういうことだろうか。これは言い換えると「私たちが生きていく上で、これだけは必ず履行すると自分自身に固く約束しているものがある」ということである。おそらく誰もがそんなことはした覚えも無いし考えたこともないというだろう。

もし私たちが人生に誓うものが何もなかったならば、自分の人生を生きることに何の意味も感じられなくて、ただ生存しているに過ぎないことになる。生きることに意味がどこにも見出せない、ただ食べて寝て出すだけの繰り返しの人生となってしまって、生きるに値するものが何も無いことになる。そこから「生きるということはどういうことなのか」を考えねばならなくなってくる。即ち生きる意味を知ろうとし、それを知ることによって生きる張り合いが生まれ、生き甲斐が感じられるからである。

私たちのかけがえの無いたった一度の人生が、虫けらと同じようなつまらないものであってはならない。この与えられた私たちの人生には、大きな意味が託されていることに気付かねばならない。その意味から自分の人生はかくあるべきだというものを知り、自分自身に誓わずにおられなくなるのではないか。

生きる意味を見つけるには、まず「生きる」とはどういうことかを知らねばならない。生きるとは、私たちに与えられた生命を活かすことに他ならない。なぜならば、私たちは自分の意志でも親の意志でもないのにこの世に生まれたが、誰が私たちの命を創ってくれたのかを知らない。それは人智の及ばない宇宙の意志ともいうべきもの(私たちは天と言い神と言う)によって生命を与えられ、この世に人間として生を受けられたことを認めずにはおられない。

この与えられ、しかも生かされている命だからこそ、最大限に活かさないではいられないではないか。命を最大限に活かすとは、私たちの命を100%機能させることである。言い換えると、自分の資質天分を発揮させること、即ち他に役立たせることによって発揮できるのである。他に役立つこととは社会に貢献できることであり、結果私たちの生命は活かされることになる。与えられ、しかも生かされている命だからこそ、最大限に活かさないではいられないではないか。命を最大限に活かすとは、私たちの命を100%機能させることである。言い換えると、自分の資質天分を発揮させること、即ち他に役立たせることによって発揮できるのである。他に役立つこととは社会に貢献できることであり、結果私たちの生命は活かされることになる。

しかし人生に誓うものを持つことができても、それが履行できなければ「うどん屋の釜」と同じで、言う(湯)ばかりとなる。その誓いを実行し続け、約束を果たすには、気の遠くなるような日々の実践なくしてはあり得ない。そのためには、まず誰に誓うのかがキ―ポイントになる。なぜなら、自分の考えを自分自身に誓ったのでは、どんなに固く誓っても破棄することが可能だからだ。また、神に誓うという人もいるが一般に通用するものではない。絶対に破られない誓いというのは「本当の自分」に誓うことでしか得られないのである。では、自分自身と「本当の自分」はどう違うのか。

私の言う「本当の自分」とは、自分の心や身体を指しているのではない。心というのは、私たちが生まれてから言葉と文字を用いて自分が作ったソフトウエアであって、コロコロ変わる性質を持っているから自分の本体ではない。また、身体も無数の細胞の集まりに過ぎず、2年以内に全部入れ替わってしまうから自分とは言えない。したがって「本当の自分」とは、生命に秘められた心の奥底にある「魂」でしかありえない。

私たちの「魂」は、本来神とも言い天とも言うものの意志を帯して、生命としてこの世に生を受けているから、これに背くことは自分の生命を否定することとなり起こりようがない。従って「本当の自分」に誓うならば、自分の「魂」を通じて「神」に誓うことになるから、その誓いは必ず履行されることになる。

航海日誌