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Vol.151 活路を見いだす

2014/01/06

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

「活路を見いだす」とは、問題や事態の解決が行き詰まったときに、そこから脱出の道を見つけることを意味している。私たちの人生を生きていく上で、大小さまざまな困難に遭うのは当然で、生きている限り悩んだりつまずいたりする。私たちが大きな困難に直面したときというのは、大抵、大問題が発生して解決に没頭するのだが、どう考えても障害があって手の打ちようがなく、どうにもこうにも動きがとれない状態になることがある。

このときほど解決の道を求めて、神にすがりたい気持ちになることはない。思考が行き詰まり神頼みも駄目だとなると、問題打開への道をどのように見つけ出せばいいのだろうか。私の90年の生涯を振り返ってみると、何度か進退窮まる事態に立ち至ったことがあった。そのとき救われたのが、考えも及ばない「ひらめき」であった。その「ひらめき」がどのようにして得られたかを振り返ってみたい。

活路を見いだす「ひらめき」は必死に考えて絞り出したものではなくて、考えが別のことに向いている時に "ふっ"とわいてくるのである。だが、何もせずに勝手にわいてきたのではない。「ひらめき」とは、それまでに関係する知識情報を集めた上に、体験が加わって潜在意識の中で醸成されるものである。それはちょうど、水と小麦が酵母の媒介によって醸成されビールになるように、素晴らしい知恵となって蓄積されていて、その中からピックアップされたのが「直感」「ひらめき」「ヒント」となって現れるのである。考える努力をいくら続けても、解決の道を得ようと気にし過ぎてストレスを生み、かえって「ひらめき」の芽を摘むことになる。

ひらめきやすい環境は二つある。一つは、脳への何の強制もない、リラックスできる、脳に対する抑圧がなくなった状態のときである。また、リラックスといってもゴロンと横になるというのでなく、進退窮まってついに考えを投げ出した後の方が「ひらめき」が起こりやすく、その内容も深くて大きい。人間はある程度追い詰めなければ「ひらめき」は起きないようだ。スランプに陥り、脱出する考えを必要としたときの「ひらめき」は、購(あがな)うことのできない人生の知恵となって心に刻まれる。言い換えると、困ったりスランプに陥ったりなど、魂が危機を感じるときこそ「ひらめき」が起こるチャンスだといえる。

昭和19年1月、私はラバウルからサイパンへ小さな貨物船で行くことになったが、当時、出航した船はほとんど沈められていた。船に乗る前夜、沈んだときどうして死ねばいいかに悩みぬいた揚げ句が「ケ・セラ・セラ」、ついに考えを投げ出してバンザイした。ところがその瞬間に、一思いに死ねる道がひらめいたのである。バンザイして脳の抑制が外れたため、「ひらめき」を呼び寄せたのだと思う。やはり人間は、行き詰まらないと新しい道は開かれないようだ。このときの「死中に活を求める」死生観は、今も私の哲学となっている。

「ど忘れ」を思い出すことも「ひらめき」に似ている。日常生活の中で、人やモノや場所などの名前を忘れて、「口まで出かかっている」のに思い出せないことは誰でもが経験している。そんなとき、あきらめてほかのことに心が向いた瞬間、脳の抑圧が外れて思い出させてくれる。

「ひらめき」を生む環境の二つ目は、一定のリズムに身を任せることである。私の場合も、早朝ウォーキングの単調な動きがリラックス状態をつくるのか、次々と素晴らしいアイデアが浮かんでくることが多く、この原稿もその恩恵にあずかっている。

「ひらめき」は、新しい道を発見する創造行為であり、新しい何かがあることに「気づく」ことである。ニュートンはリンゴの落下するのを見て重力の存在を発見した。それまで世界中の誰もがリンゴの落ちるのを見ていたはずだが、万有引力の法則を思いついたのは彼一人だった。誰もが気づかなかったことの「気づき」である。私が、日本で初めて油圧式クレーン車を作ることに気づいたのも「ひらめき」であったし、それが端緒となって今日まで予想外に発展成長してきた。このような経緯から、「創造」を社是にすることを決めた。

発展の端緒となった「ひらめき」は、どうして生まれたのか。それは私が初めて南方の戦場に行く途中、占領後間もないウエーキ島に立ち寄った時にさかのぼる。島の岸辺には当時日本にはなかった電波探知器がそびえ立っており、裸の米軍の捕虜が、見たことがない土木機械を操縦している光景に圧倒された。同時に、わが国の科学技術の遅れに、戦争の行方が思いやられた。戦後、小さな機械工場を始めたが、何年もの間、何か油圧を利用した製品を作り出せるのではないかという思いがくすぶっていた。このくすぶっていた間が「ひらめき」を醸成する役目を果たしていた。

「活路を見いだす」について違った角度から考えを述べたが、私たちが生きていく上でいかなる困難に遭おうとも、知恵を蓄え醸成していくことからわき出す、「ひらめき」によって切り開けることが分かっていただけたと思う。しかもこの「ひらめき」は、必ず私たちの成長進歩をもたらしてくれる。進んで困難に立ち向かっていこうではないか。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談より』

航海日誌