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Vol.153 一意専心

2014/03/03

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

一意専心とは、「そのことだけに心身の力のありたけを投入して事をなし、ほかのことは考えないことである」と、知致誌にある。心血を注ぐ大事なこと、つまり人間にとって一番大切なこととは何か。どんなことに自分の心身のありたけを注入すればいいのか。それが分かれば、自分の一生を費やしても悔いない生き方ができるのではないか。

そのような生き方を身につけることは、「死」についての明確な自覚なしにはできない。「死」が明らかになって初めて「生」が判然とする。だが、人が一番嫌がるのは死ぬことである。知らずに暮らす方がよほどいいと思っているが、知ったから早死にするでなし、知らずにいたから長生きするのでもない。死ぬことの意味をほんとうに知るなら、かえって毎日を勇んで送れるようになる。

死があるからよいと思う。もし死がなかったなら、何代も前の爺さんや婆さんがウロウロするようになってどうしようもない。いい潮時に惜しまれて去っていくからよい。死に対する自覚を持つことは、生きる希望を見出す端緒となり、積極的に生きる力の源泉、プラス思考の大前提となる。達観したような文言を並べたが、かつて私が南方の戦場で、何度も逃れられない死を目の前にして、考え抜いた末ひらめいたのが「死に甲斐は、生き甲斐につながる」であった。死を受け入れた瞬間に、奮い立つ勇気がわいてきたのを覚ええているからだ。

私たち誰もが生きる上で大切だと心の中で思っているのは、「健康」「家族」「仕事」「財産・お金」「地位・名誉」などである。しかし、それについて明確な「優先順位」を持って生きている人は極めて少ない。自分にとって何が一番大切かをハッキリと示してくれるのは、死に対する自覚以外にはない。死を自覚したとき、初めて自分にとって何が一番大切かを気づかせてくれ、その優先順位を明確にしてくれる。

私が皆の嫌がる「死」を幾度となく言い続けるのは、死についての自覚によってこそ自分の生涯を賭して悔いない生き方が分かるからだ。一意専心できる生き方は、「死」の問題を抜きにして答えは出てこない。私の一生を費やして悔いない最高価値は、社会貢献以外にない。「いのち」より大切で、そのほかはすべて必要条件だと考えている。

「社会貢献」というと難しそうだが、そうではない。世のため人のために役立つことであって、報いを求めず他のために尽くす「愛」の行為で、人間の求める最高価値である。企業も人と同じく、求める最高価値は社会貢献以外にない。人も企業も、その存在を許されるのは社会に貢献しているからであって、その貢献度に応じて利益が与えられるのである。利益はあくまでも結果であって、儲けたら奉仕するのでなく、奉仕の気持ちが儲けを生むのである。わが社の社是に「奉仕」を制定したゆえんもそこにある。

私事で恐縮だが、90歳を超えた今も、私の持つ最高価値が社会貢献であることは少しも変わっていない。これまでに培ったわずかな知恵を他に役立たせたいと、つたないこの語録を毎月例会で述べたり、ホームページでも公開している。また、社会貢献の必要条件である健康をつくるため、早朝のウォーキングの後、庭のプールで一泳ぎし、続いて会社のジムでのストレッチ運動の日課は40数年続いている。正月の海での寒中水泳もその一貫である。この分なら、ひょっとしたら100歳も夢ではないと密かに思っている。

いずれも習慣化されていて、三度の食事と同様に生活に組み込まれており、全く無理なく継続できている。そのほか、読書と創作、庭の植物や花の手入れなど、意の向くままに過ごしているが、他に役立つ存在でありたいとするこのような過ごし方もまた、「一意専心」の生き方といえるのではないだろうか。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談より』

航海日誌