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Vol.155 少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず

2014/05/07

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

月日の過ぎ去るのは早くて、学問を修めるのはなかなか難しい。わずかな時間も大切にせよ。今年102歳の日野原重明先生は「命は時間である」と表現している。命は私たちが生きている時間であり、無駄に過ごすのは命を浪費していると言う。

普段、金や物を人に与えるときはケチケチして惜しむが、自分の時間は気前よく、タダで物でもくれてやるように与えている人が多いことか。人は誰でも当分は死ぬことはないだろうと思っていて、命の危さに気付いていない。時間は形がなく目に見えないから、その尊さが分からず無尽蔵にあるように思い、浪費しているのかもしれない。哲学者セネカは「われらは常に命の短きを嘆じながら、あたかも命の尽くる時期なきごとくふるまう」と表している。

金や物はいくら惜しんでも、真に自分のものにはなり得ない。生きている間はそれらを自由に使えるが、寿命によって使えなくなるので「一時預り」のようなものである。それに反して時間は完全に自分のもの、誰にも奪われぬ自分の所有物なのに、なんと無造作に他人に与えてしまうのか。よき人生を志すなら、まずその時間をこそ惜しみ、かき集めて自分の魂のために使うべきである。

生きていることを時間の経過で見ると、昨日は去って既になく、明日はまだ来ないから存在しない。あるのは今という時だけだが、その今も時計では計れず、アッという瞬間も既にそれは今ではない。仏教では刹那と呼ぶが、刹那と呼んだところで今をとらえることは出来ない。しかし、この今の一瞬の積み重ねが人生をつくり、永遠にもつながっているのだから、一瞬の今を最大限に生きよと言う。今という一瞬を大切に出来ないのは人生を放棄したと同じで、一日を真剣に生きる人のみが勝利者になるのは間違いない。

あらゆる視点から時間の大切さを述べたが、例えそれを頭で理解できていても、一瞬の今に気配りして一日中過ごすことは難しい。ならば意識的に頑張ればよいと思うだろうが、一時の効果はあっても長く続かない。もっと自然に、開放された自由な心境で行えるにはどうすればいいだろうか。それにはまず、従来の観念的なものの考え方から、直観による感性的な考え方に180度変わらねばならない。

一言で言えば、今生きている自分は生きているのではなくて、実は生かされているのだ、と気付くことである。このとき大きな感動を覚えるとともに、それまでのものの見方・考え方が変わり、大いなるものの存在を見る目が与えられる。それには、私たちが眠っている時のことを考えるとピンとくる。眠っている間は、身体は休息し、意識は活動していないのに、不思議にも内臓器官は寸時も休むことなく働いてくれている。そのおかげで呼吸も途切れず、血液も全身を巡ってくれている。意識がないのに誰がこれらを動かしているのだろうか。

医者に聞くと、それは「自律神経」だと言うし、その自律神経は脳幹によって働くのだが、その脳幹が何によって動くかはいまだに科学的に解明されていない。私は、この誰かは理性ではとらえられない「宇宙の意志」であると解している。それとしか言いようがないからだ。もし、自分の意思で脳幹を動かしていると思っている人がいるなら、それが止まりそうになったとき、どうして意思の力で再起させられないかを問いたい。

また私たちは、太陽や空気や水なしに、また自然に育まれた植物や動物を食せずには生きられない。それはすなわち、大自然によって生かされていると言えるのではないか。この大自然を指して私は宇宙の意志と言ったが、セネカは「自然」と言い、エピクテートスは「神」、老子は「道」タオと呼んでいる。そのほか「大いなるもの」「サムシング・グレート」「天」などと、名付け方はそれぞれ違うが、同じことを表している。

生かされているという気付きは論理的な理解からは生まれず、感性による直観でしか得られない。多くの場合、予期せぬ大病や災難を辛うじて乗り越えられたときに、初めて気付くことが多い。私は三年余の南方の戦場で、毎日のように生死の境をさまよった体験から、生きているのではない、生かされているんだと実感できた。以来、今日という日はかけがえのない貴重な一日であると受け止め、今日が生涯最後の一日であるかのように時を過ごすことに努めている。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談より』

航海日誌