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Vol.157 自分の花を咲かせる

2014/09/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

自分の花を咲かせるとは、どういうことを言っているのだろうか。私はこれを、自分の持っている資質・天分を最大限に生かすことであると受けとった。マズローの言う「自己実現」である。

しかし、いかに優れた資質天分を持っていても、それを生かさなければ絵に描いた餅に等しく、他に役立ってこそ、初めて生かされる。他に役立つとは、「あなたがいなくては困る」という必要不可欠の存在になることである。しかし、その存在は周囲が認めることによってしか現れないのだが、誰もが、できればこのような生き方をしたいと心の中で思っている。

そのような生き方には何が必要だろうか。一番大切なことは、自分の未熟さに気付くこと、言い換えると、理性の不完全性を自覚することである。

普通、私たちの日常の行動は、理性によって決められている。私たちが生まれて、言葉を覚え、言葉を通じて物事を知ったり、考えたりして、誤りなきよう社会生活を営むことができている。

しかし、その理性というのは合理的にしか考えられない不完全なものであって、合理的でないものについては盲目同然なのである。例えば、私たちが最終目標として求めていく愛や幸福や自由や生きがいは、すべて感じるもので理屈ではない。従って、理性は人間の持つ最高の能力ではない。しかも、世の中には合理的に解決できないことがいっぱいある。だからこそ、不完全な理性を抱えている私たちの、未熟さの自覚が大切なのである。なお、その時初めて謙遜さが生まれるのである。

謙遜はつくり出すことはできない。その人からひとりでににじみ出るものであるからだ。その謙遜さは、他から自分にないものを学びとろうという気持ちで接するから、たくまずして好ましい人間関係が醸成される。そうした生き方が人格をつくり、自信が生まれるのである。

私たちが堂々と人生を生きていくためには、どうしても自信が必要であり、誰もが自信を持ちたいと願っている。カントは「その自信を自分の中につくっていくには,思索と実践の両方を欠かすことができない」と言っている。「自信」というのは「自分を信じる」と書く。自分を信ずるには、まず「信ずるに足る自己」をつくることである。そのためには、体験を通して論理的な根拠を自分の中につかむことが、自信をもって生きるための不可欠の条件である。すなわち、自信という心の働きは、実践的な根拠をつかむこと、どこから突かれても即座に対応して、相手を納得させられるような論理的な根拠をつかむことにある。そうすることによって初めて、不動の自信、不動の信念が身に付くのである。つまり、学問的な根拠を支えにした実践があると、いくら人からどんなことを言われても、びくともしない自信を持つことができるといえる。

理性の不完全性による自分の未熟さに気付くことによって、不完全な理性を抱えている自分の未熟さに気付くとともに、他から学び取る気持ちが人格と自信をつくり、自分の花を咲かせることにつながるのではないか。

私がこのような生意気なことが言えるようになったのも、90年の生涯における幾多の体験と思索、そして、他からの学びによって、論理的な根拠をつかむことができたからである。青年時代には海軍で鍛えられ、南方の戦場で幾多の生死の境をくぐりぬけて、生かされていることを知った。また、若くして会社の経営に頭を悩まし、自分の可能性を求めて、向こう見ずの「ダメもと」で、失敗を重ねながら、貴重な体験を重ねた。

その間、人生の師となる西田天香から「無一物中、無尽蔵」の哲理と、ピーター・F・ドラッカーから「利益は結果であって目的ではない、その貢献度に応じて社会からもたらされる」という経営の哲学を知り、自分の体験の裏付けとなる論理的な根拠をつかむことができた。それが私の自信をつくってくれ、自分の花を咲かせたと思う。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談より』

航海日誌