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Vol.158 夢に挑む

2014/11/04

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

「夢に挑む」というテーマからすぐ頭に浮かんだのは、当時世界に大きな衝撃を与えた、マーティン・ルーサー・キング牧師が演説の中で繰り返した『I have a dream』である。人種差別をなくし、肌の色ではなく人格そのものによって評価される国にしたいという熱情からほとばしった言葉である。彼は55年博士号を取得、64年ノーベル平和賞受賞、68年凶弾に倒れたが、「夢」はまだ完全に実現していなかった。

振り返ってみると、キング牧師の「夢」と私たちが普段見る「夢」とは大きく違っているように思えてならない。それを一言で言うなら、「持つ夢」と「見る夢」の違いではないか。信念からわき上がった「持つ夢」は、いつまでも心中に焼き付いていて消えることがないが、漠然とした「見る夢」は、長続きせず消えてしまう。「持つ夢」はいつも持ち続けているから、「私には夢がある」と言えるのではないか。「見る夢」と「持つ夢」は全く次元が違うのである。消えることのない夢は、感動の体験から生まれ、いのちからわき上がってくるものである。私の感動の体験から得た「夢」を述べてみる。

一つは私の職工学校卒業前、恒例の工場見学授業の時であった。訪れた会社の門柱には、大きく「海軍指定工場北条歯車製作所」と書かれていた。初めに壇上に立った、菜っ葉服(※)の白髪交じりの小男が社長であること、また本校の卒業生であるのを誇りにしているのを聞いて、私は驚くと同時に感動に胸が震えた。「すごいなぁ、自分もいつの日かこのような素晴らしい会社を作れるかもしれない」と、ほのかな夢をひそかに抱いた。

もう一つの感動の体験は、1942年9月マーシャル群島ルオット航空基地へ赴任の途中、占領後間もないウエーキ島に立ち寄った時のことである。海岸には、見たこともない電波探知機がそびえ立っており、陸上にはおびただしい数のブルドーザーをはじめとした土木機械が散見された。驚いたのは、それらを運転しているのはすべて米軍の捕虜で、しかも駆動力はすべて油圧だった。

当時日本軍が飛行場を作るのには、スコップと「もっこ」の人力だけで長期間を要したのに比べ、米軍がこの機動力によって短時日で作れる謎が解けた。私は感動すると同時に、アメリカとの戦力差を目の当たりにして、戦局の行く末はただならぬと直感した。また、油圧の利用が無限にまだ残されていると思った。このウエーキ島の第一印象は強く脳裏に焼き付いて、北条社長の印象とともに私に夢を抱かせてくれた。

戦後、小さな町工場を始めたが、何をしていいのか五里霧中だった時、ふと思いついたのが油圧を利用した機器を作ることだった。戦争中、私が扱ってきたゼロ戦の脚やフラップなどの各所が油圧駆動だったのを思い出した。そんなことから、油圧を利用したさまざまな機器を作ってみて、失敗を重ねながら、試行錯誤の末たどり着いたのが油圧式トラッククレーンであった。

ない頭を絞って、小さな町工場で作った幼稚なものだったが、それが我が国最初のものとなったのである。思えば、あの北条社長との出会いと、ウエーキ島の二つの感動が、潜在意識の中で醸成されて知恵となり、気付きによる「ひらめき」や「ヒント」を大切に、夢に挑んだ結果が今日の我が社である。

感動することによって、自分自身の人生をすっかり変えてしまうのである。アポロ計画で月面に降り立った宇宙飛行士の多くが、とてつもなく深い感動を覚え、宗教的な啓示を受けたと語っている。「大いなる神の意志を感じた」と表現する者もおり、飛行士をやめて宗教家になった人もいる。

感動は未知のものとの出会い、新しい発見から生まれる。私たちも子供のころは、すべてが未知のものであり、新しい発見に驚き感動するから、毎日がキラキラ輝いていた。だから、未知のものを受け入れて感動できる人は、いつまでも若々しくいられる。「感動することを失った人は、生きていないのと同じだ」と、アイン・シュタインは言った。

いろんな物事に目を向け、新しい見方をしているときに新しい発見がある。そのために必要なのが創造性である。創造的に生きることで「感動」し、「夢に挑む」という人間にしか味わえないものを手に入れることができるのである。


(※)工場作業者などが着る薄青色の作業服

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談より』

航海日誌