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Vol.160 発想力

2015/03/09

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

発想力とは、新しい考えを思いつく力である。言い換えると、それは積極的にイメージする力であり、ぼんやりしたものでなく、心の中にありありと思い描けることができる能力である。発想力が私たちにとってなぜ大事なのか。また、そうした能力はどのようにして作られるのだろうか。

例えば、芸術活動のような創造的なことに従事している人が、無心になってそれに取り組んでいるとき、無意識のうちに創造的なひらめきが湧いてくる能力が発想力といえる。そんな能力はある特殊な職種に必要で、私たち普通人には無くても十分生きていけると思うかもしれないが、とんでもない。発想力は、私たちにとって、とても大事な人・物・事を創造する母体であり、原動力となるからである。

創造は、わが社の社是に掲げてあるように、個人にとっても組織にとっても、活力の源泉となっているのは間違いない事実である。かつて社内の創造活動で、ブレーンストーミングという方法を用いたことがあったが、有効なひらめきや質の高いインスピレーションは出てこなかったように思う。ということは、論理的思考を繰り返すだけからは創造は生まれず、「思いつく、気がつく」という人の心に起こる知覚現象に深く関わっていると思える。

わが社の社是である創造は、単なるスローガンではない。約60年前、小さな町工場だった頃に作った油圧式トラッククレーンが、我が国では最初のものだったことである。今や年商1,500億(14年度 第3四半期決算)、その半分以上が輸出されているのは、世界に市場を創造したといえる。ではなぜこのような創造ができたかをいうなら、「やる気×経験」である。私が戦闘機の整備兵だったこと、占領直後のウェーキ島で米軍の建設機械のほとんどが油圧で動いているのを見たことなどである。その僅かな経験をもとに無謀にも油圧式クレーン車をつくってみようと「思いついた」、しかも何よりもやる気があった。失敗の可能性に挑戦したのである。

「気付く」というのは、筋道を立てて考えるより以前の心の働きであり、気付く前に「何かがある」思いを感じるとき、気配がするともいう。気付きは、考えた末に出てくるのではなく、むしろ行為を重ねるうちにふっと湧いてくるといえる。意識的な努力は、むしろ創造のメカニズムや気付きを邪魔してしまう。意識的な思考によって考え出されるのではなくて、意識が問題とは別の事に向いているときに、青天の霹靂(へきれき)のように自然発生的に湧いてくるものだ。

自転車に乗ったことがない人が、こうすれば乗れるだろうと思ってやってみても必ず転倒する。また、どれ程アドバイスをもらってしても結果は同じである。結局痛い目に遭うのを承知の上で乗る経験を重ねるうちに、ふっと倒れずに乗れるようになる。しかし、その瞬間乗り方を会得したとしても、その内容を言葉で表現することはできない。つまり論理的に考えて乗り方が分かったのではない。体を使って物や事を創造する人たちの世界では、あらゆるところで同じ現象が見られる。その道の達人は弟子に「極意は言葉で教えるものではない、盗め」と言った。

どうすれば創造する人になれるかは、誰でも「やってみて」会得するしかない。創造ということの核心には「気が付く」という心の働きがあり、そのハイライトが「ひらめき」である。ひらめきは神秘的な心の働きであって、偶然表れるものではない。フランスのポアンカレは、ひらめきについて、論理的な思考の後に続く無意識の働きによって、突如、天啓が降ったかのように考えが開けてくると言っている。

これを彼は「進んで努力しても全然無効に終わったので諦めて、一見途方もない見当外れをしていたかのような気がする幾日かが続いた後でなければ、あの突然の霊感は降ってこない。だから、無駄かと思った努力は決して無効だったのではなく、無意識を発動させる大事な行動だったのである。もしこれがなければ、無意識は働かず何も創造しなかったに違いない」と表現している。

また、ひらめきは何の関係もなしに、いきなり現れてくるのではなくて、そこにはプロセスが必要であると、次のように述べている。洞察・浸透・発酵・啓示の段階である。洞察とは、何かに気づいて問題として意識する段階。洞察に基づいていろいろ調べ、論理的に考えて努力する段階が浸透。論理的に解答できなくて諦め、これまで無駄な努力をしたように思う日が続く間に発酵があり、潜在意識が何らかの発見を求めて模索を続ける段階がある。潜在意識が発見に成功すれば啓示(ひらめき)が訪れて、「突然の霊感」が降ってくるというわけである。

ひらめきを生む神秘的な心の働きというのは、怪しげな魔法の類かと思われるだろうが、実は魂の働きである。「突然の霊感」が降ってくるのは、宇宙の意志と強い絆で結ばれている魂が受け取った天の啓示であり、ひらめきなのである。創造の核心であるひらめきは、やはりやってみて、試行錯誤を続ける無心の努力の中から湧いてくる。これが発想力ではないだろうか。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2014年12月)より』

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