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Vol.169 リーダーシップの神髄

2016/04/01

いくら歳をとっても、やれるもんだよ。(多田野 弘)

リーダーシップとは、指導者としての資質・能力・力量を含む統率力をいう。 今回は、その統率の極意ともいうべきものは何かを問うている。 私は若い時の海軍時代から始まり、企業を興して以来ずっと指導者の立場にあった。 そのため、統率については悩み続けてきたことの一つであり、またそれが私の人間的成長を促してくれたともいえる。

統率の極意ともいうべき大切なものは何かと言えば、 リーダーの持つ人間観によると私は確信している。なぜなら、 リーダーが統率するのは主として集団であり、その集団は一個の人格を備えた人間によって構成されている。 しかも、その個人は、どんなときにも自らの行動を選択する自由を持っていることである。

では、なぜリーダーの人間観が統率に必要なのか。それは、 人間の本質は科学的合理的ではないからだ。しかし、集団の目標を達成するには概して、 科学的合理的に処理する必要がある。だがそれに立ち向かう個人は、 単なる戦力や労働力ではない。心とか感情を持っているから、科学的合理的に律するわけにはいかない。 どんなに高度な知識・管理技術をもってしても、外部から人の心を操作し、 コントロールすることは不可能である。それがリーダーの人間観が必要とされる所以である。

リーダーの持つべき人間観の第一は、人は誰でも、他からの命令や指示を好まないことである。 自分の行動を選ぶ自由を妨げられるからだ。第二に、人は誰でも、自主的・自発的に行動するのを好み、 自分の立てた目標のためには、自らを鞭打ってそれを成し遂げようとする。 またそれが困難であるほど、達成の喜びが大きく、生き甲斐を感じ、さらに大きい目標にチャレンジする気持ちが湧いてくるのである。

第三に、人は誰でも信じられたらそれに応えずにはいられないというのが人間である。 信じるとは、目に見えぬ人の心と心を結ぶ大きな力を持っている。 理屈を超えた不思議な現象・奇跡を生む。先月の「人間という奇跡を生きる」で述べた、 社員を信じて断行した「タイムレコーダー・出勤簿の廃止」で出現した遅刻皆無などは、 凡て人間信頼による奇跡と言える。私が昔教わった、ノン・ディレクティブ・ガイダンスである。

私がリーダーシップの神髄にふれた戦場の体験の中で、最も大きな感動を覚えたのはペリリュー島での戦いである。 昭和19年3月30・31日、米機動部隊の集中攻撃を受け、我が戦闘機隊は勇猛果敢に戦った。 迎撃に飛び上がった機が弾や燃料を使い果たして降りてくるのを受けて、燃料と弾を補給して また飛び立たせるのが我々の任務である。そのたびに「いくぞ」と叫んで壕を飛び出し、 「滑走路が俺の死に場所だ」と思って、機に向かって駆けていった。上を見るとグラマンの編隊がこちらを目掛けて突っ込んできた。

もう滑走路上に伏せるしかない。同時に、ダ、ダ、ダと弾がはじける音が耳を劈(つんざ)いた。 立ち上がってみると、誰も傷ついた者はいない。数人の部下がついてきてくれたのをその時知った。 続いて次の銃撃の来ぬ間にと駈けたが、おそらく皆オリンピック並みの速さだっただろう。 部下は、滑走路に出れば必ず撃たれるのが目に見えているのに、誰ひとりとしてひるむ者がいなかった。 彼らも皆、ラバウル以来の歴戦の勇士だった。が、私の命がけの率先垂範が、彼らを死地に突入させたのかもしれない。

リーダーシップの神髄を言い換えると、部下を権力での指示命令よって服従させるのではなくて、 リーダーの日頃の具体的行動による、部下からの尊敬と信頼によって心服させることにある。 故にその神髄とは、言葉や文書ではない、一生を通して修練体得するものであり、気の遠くなるような長い自分との闘いである。

『高松木鶏クラブ 多田野 弘顧問談(2016年1月)より』

航海日誌